リストクラッチ・エクスプロイダー -94ページ目

はやぶさにまつわるお話3

 小惑星イトカワを目前にした05年11月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の管制室は重苦しい空気に包まれた。計画では、はやぶさがカメラ画像で自分の位置を判断し、地球からの指令なしに着陸する段取り。だが、画像をうまく処理できないことが分かったのだ。

 はやぶさの姿勢制御を担当する白川健一・NECエキスパートエンジニア(45)が切り出した。「人が支援してはどうでしょう」。着陸は担当ではなかったが、管制室の仲間の苦労を見て、ひそかに情報を集めていた。

 白川さんは、管制室ではやぶさのおおまかな位置を推定できるプログラムを開発。着陸直前まで支援する方法を考案した。精密な自律制御を目指していた管制チームから「技術者らしい(荒っぽい)やり方」と言われたが、着陸は成功した。

 その後もはやぶさは、帰路の姿勢を保つエンジンすべてが故障するトラブルに見舞われた。白川さんは、太陽光の圧力を利用して姿勢を制御する方法を編み出し、難局を切り抜けた。

 太陽光は予測が難しいため、「はやぶさ中心の生活」が続く。白川さんは「まるで生き物を相手にしているようだった。はやぶさは困難を解決する醍醐味(だいごみ)を教えてくれた」と振り返る。

 「エンジンが止まった!」。旅も終盤に差し掛かった昨年11月、NECの堀内康男シニアマネジャー(45)に連絡が入った。4基中3基がダウンし、残る1基をフル稼働しても帰還できない状況。内心「今度は駄目かもしれない」と感じた。

 迷った末、エンジン担当の国中均・JAXA教授(50)に提案した。停止した2基のエンジンの正常な部品を回路でつなぎ、1基として使う。「地上で試していないので、逆に悪さをする可能性すらある」と念を押したが、国中さんは決断した。結果は成功だった。

 堀内さんは大学院時代、国中さんのもとではやぶさのエンジンを研究し、それを形にするためNECに就職した。20年来の同志が二人三脚で切り抜けたピンチ。「不死鳥」に例えられるはやぶさの旅を、技術者たちの意地と粘りが支えた。

 うれしいはずの帰還なのに、いま堀内さんの胸中は複雑だ。「終わったら寂しくなるでしょうね。毎日メールで届くはやぶさの報告が来なくなる」=つづく




はやぶさにまつわるお話2


06年1月23日、はやぶさと交信する大型アンテナがある長野・蓼科山ろくは雪が降りしきっていた。気温は氷点下11度。だが、冬にしては珍しく風が穏やかだった。

 「何か出ているぞ」。午後2時、相模原市の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の管制室で、西山和孝准教授(39)は大型アンテナの受信状況を伝える画面に目をこらした。それまで7週間あまり、ほとんど変化のなかったグラフに、くっきりと高いピークがあった。

はやぶさのイトカワへの1回目の着陸を前にあわただしい宇宙航空研究開発機能の管制室。奥左側がはやぶさからの電波を表示する画像。通信途絶時は、この画像の反応がなくなった。

はやぶさは05年11月、小惑星イトカワへの着陸に2度成功した。だが、2度目の着陸直後に姿勢が崩れ、12月上旬、通信が途絶えた。それまでもトラブル続きだったが、この時は「とうとう我々の星を失った」と落ち込む研究者も出た。西山さんら運用チームは、それでも地道に指令を送り続けた。いつの日か応えてくれると信じた。

 その日は、予想より早く訪れた。西山さんは1月23日の日誌にこう記している。「周波数4・35キロヘルツ付近で信号を発見。探査機からと思われる電波が受信できるようになった」。送られてくる微弱な電波を頼りに復旧作業を進め、はやぶさは最大の危機を乗り越え、満身創痍(そうい)ながら地球帰還の途についた。

 ミッションは「順調に“不調”」と言われるほど綱渡りの連続だった。地球から遠く離れた小惑星の岩石採取は、航行時間が長く、採取・回収も難しい。
米航空宇宙局(NASA)でさえ手を出さなかった難業に、宇宙探査の歴史では米国に遠く及ばない日本が挑んだ。あまりに野心的な内容で「(はやぶさが)本当に帰ってくるとは信じられない」と振り返る研究者も多い。

 地球を目前にしたはやぶさに、世界が注目している。各国の宇宙理工学者が集まる「国際宇宙航行アカデミー」は今年、創立50周年を記念して作ったロゴに、米アポロ計画などと並べて、イトカワに到着したはやぶさの写真を使った。「パイオニア」「ボイジャー」など著名な宇宙探査を手がけたNASAジェット推進研究所のチャールズ・エラチ所長は、毎日新聞に次のように答えた。

 「この探査は、非常にやりがいがあり刺激的な任務。JAXAは新しい領域を切り開いた。我々もはやぶさから学ぶことが多い。日本人は、この業績を偉大な誇りにすべきです」=つづく




はやぶさにまつわるお話1


小惑星探査機「はやぶさ」が、小惑星イトカワへの往復飛行を終え、13日に帰還する。数々のトラブルを乗り越える姿は「不死鳥」と呼ばれた。7年がかり、60億キロに及ぶはやぶさの旅が日本の宇宙開発、そして人々の心にもたらしたものを紹介する。

 東京・多摩川の河川敷にある「府中市郷土の森博物館」。川崎市に住む田代菜央(なお)さん(38)は昨年9月以来、同館に何十回も足を運んだ。プラネタリウムで上映されている、はやぶさの活躍を描いた映画「HAYABUSA BACK TO THE EARTH」を見るためだ。「はやぶさに出会い、私の人生は変わった」。彼女は強くそう感じている。

 田代さんは昨年3月、派遣で働いていたIT(情報技術)関連会社を解雇された。不況が原因だった。その後、約100社に応募したが、すべて不採用。ようやくありついた警備員のパートも、仕事が回ってきたのは3カ月で10日もなかった。収入も減り「このままでもいいか」と自暴自棄になりかけた。

 そのころ、映画と出会った。「人類初」の挑戦を満載したはやぶさの冒険に圧倒された。興味がわき、講演会にも足を運んだ。重要な機器が故障しても通信が途絶えても、地球からの指令に応えるはやぶさがけなげに思えた。運用に携わる人々の奮闘ぶりが脳裏から離れなくなった。

 「こいつに負けてはいられない」。田代さんは「受かるまで続ける」と決め、就職活動を始めた。昨年11月、最初に受けた印刷会社の契約社員として採用された。競争率80倍の難関だった。「今は、毎日の仕事が充実している。立ち止まりかけた私だったけど、はやぶさを知ってからは簡単にあきらめちゃいけないと考えるようになった」

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が運営するはやぶさの特設ホームページには、4月中旬の開設以来、約1000件のメッセージが寄せられている。JAXA対外協力室ウェブ担当の周東(しゅうとう)三和子さん(63)は、はやぶさへの熱い思いがこめられたメッセージに、胸が熱くなることもしばしばだ。「頑張れ」など激励が中心だった従来の衛星とは趣が違うという。

 「仕事に疲れたとき、家族と離れたとき、はやぶさを知って頑張ろうと思った」「閉塞(へいそく)感漂う昨今に、感動や勇気を与えてくれてありがとう」「日本人に生まれてよかったと思います」=つづく