最近読んだ『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』は興味深い本でした。
著者は飯塚さきさんという女性作家。タイトルに惹かれてさっそく読んでみました。
外国から来日した力士が苦労したのは、やはり言葉と食事でした。
モンゴル出身の霧馬山(西小結)の前に立ちはだかったのが、やはり言葉の壁。周囲の言葉がわからず、自分の思いを言葉で伝えることもできず、ほんとうにつらかったと告白しています。
ブルガリア出身で大関まで駆け上がった琴欧洲(現鳴門親方)も同じでした。今でこそ部屋を持ち、最も注目されている指導者の一人ですが、入門時は苦労の連続。
稽古のつらさは我慢できても、周囲の人が何をしゃべっているか理解できない、言いたいことが伝えられない、テレビを見てもラジオを聞いてもさっぱり理解できない。かろうじてジェスチヤーで理解できたのは「メシ」「寝る」「風呂」だけ。
〝自分はなぜこんなところでこんなことをやっているのか〟と絶望感に襲われたといいます。
多くの力士が、食べ物にも苦労していました。とりわけ四苦八苦したのが納豆。
開封した瞬間の匂いがまるでだめだったという霧馬山。
現役引退後、故郷ハンガリーの日本大使館職員となった升東欧(ますとうおう=最高位は西幕下8枚目)は、入門直後から生魚、白米、納豆はまったく食べられず「白米にマヨネーズケチャップをかけて、ノルマの3杯のご飯をたべていた」そうです。
元大関の栃ノ心(ジョージア出身)も、納豆は見た目と匂いで全く受けつけず、入門から半年はまったく食べられませんでした。それが、ひょんなことで食べてみると「こんなにおいしかったのか」とびっくり。今では納豆に合うのはどんなコメかと探し回るほどの納豆好きに変身してしまったとか。
そうした苦労、体験を通じて、栃ノ心は、日本語を覚えるという点でいえば、各相撲部屋に外国人力士一人という入門制限は、日本語しか通用しない環境に身を置くことであり、決してマイナスではない、といいます。
横綱照ノ富士は、日本語がわからないとか気持ちのすれ違いなどの壁はあっても、結局は人間と人間のつきあいと考えていけばいい、と考えて乗り越えてきたそうです。
そのたくましさが、大関から序二段まで陥落しながら、ふたたび這い上がってきた土台にあったのでしょうか。
興味深い話満載です。同時に、例外なく彼らが直面する国籍変更=帰化問題を当人たちはどう考えているか。次回で見てみます。