選手は将棋の駒? | ハッキヨイ!よっちゃん相撲日記

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大相撲取材歴20うん年!よっちゃんです!

 

            

 相撲日記で他のスポーツを扱うことに違和感を持っている方もいるかもしれません。ただ、相撲取材の合い間に、他のスポーツ取材をしてきたこともあって、つい、つい…。

 今回も高校野球について、です。

 

  最初にも書きましたが、かなり熱烈な高校野球ファンです。甲子園は、日頃から必死に野球に打ち込んできた彼らの最高の晴れ舞台であり、懸命にプレーに打ち込む姿には惹かれてきました。(写真は毎年取材のたびに買ってきた記念ボール。真ん中にあるのは一昨年の100回大会記念のボール)

 

 ただ、毎日の試合を見ながら、考えさせられることがあります。選手が指導者の意のままに動かされている姿です。

 1球ごとにベンチを見やって、打つかどうか、走っていいかどうか、監督の作戦に従うだけ。極端なことを言えば、選手は監督にとって将棋の駒、みたいなもの。指示通りにやっているプレーに違和感がぬぐえません。

 

  8月12日付のブログで触れた高知・明徳義塾の投手が、石川星稜・松井秀喜君を5連続敬遠した1992年のプレーはその象徴でした。

 明徳の選手が、注目されている松井君に真っ向から挑んでみたい、自分の力を試してみたいと思っても、監督の指示は「勝負はするな、歩かせろ」。

 高校野球で監督は絶対的な存在です。〝お前に松井を抑える力はない〟と、宣告された投手の胸の内はいかばかりだったか。

 それでも子どもの成長に責任を持つ教育者(明徳義塾監督は社会科教師)ですか!と、当時憤慨したものでした。 

  すべてとは言いませんが、相変わらずそういうチームと監督も多いようです。

 

 スポーツというのは本来〝仕事や家事などから離れて、気晴らしや遊びを楽しむ〟ものです。それが時代を経るにつれて競技的な色合いを強めてきました。それは当然としても、スポーツの本質は変わっていないと思います。

 

 かつて、選手が打てば、ベンチで「いけいけ!」としか言わず、「わしはバントが嫌いじゃ」「思い切り、のびのび打っていればいいんじゃ」と言ってはばからなかった徳島・池田高校のやまびこ打線と蔦文也監督の野球を思い出します。

 管理野球全盛の時代に、こういう野球は時代遅れになったのでしょうか。