スポーツ選手も一人の国民 | ハッキヨイ!よっちゃん相撲日記

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大相撲取材歴20うん年!よっちゃんです!

 

           

 オリンピックの余韻が残るうちに、書いておきたいことがあります。

 コロナ感染が爆発的に拡大し、多くの国民が開催に批判、反対の声を挙げたにもかかわらず、日本政府、いまやイベント屋となったようなIOC(国際オリンピック委員会)はそれを無視して大会を強行しました。

 

 人間の尊厳の保持、とか、平和な社会の推進、といったオリンピック憲章に反した異常な大会として、歴史に刻まれることになるでしょう。

 

 その中で痛感したことがあります。選手自身がなぜもっと声を上げなかったのか、ということです。

 

 大会前に 「スポーツ選手の前に、自分も一人の国民」と、開催に疑問を投げかけた選手もいましたが、広がりませんでした。

 「東京で開催されたことについてどうだったか」というインタビューでは「よかった、よかった」と、判で押したような声ばかり。批判的な声を上げた外国選手のコメントはほとんど無視されました。

 

 

  競技選手にとってオリンピックは、最高の舞台。ここに出場したか、獲得したメダルの色=金、銀、銅=はどれだったかで、引退後の生活が大きく左右されます。

 

 メダリストになれば、監督など指導者の道が開けてきます。テレビ解説者の道もあります。オリンピック出場やメダリストの肩書は一生ついてまわります。〝うかつなことは言えない〟という防衛本能が働くのも、わからなくはありません。

 

 

  それでも、ここまでスポーツが政治利用され、ゆがめられているのに、選手がほとんど発言もしないのは、やはり異様でした。

 国民の健康、命が脅かされているとき、国民の膨大な税金を投じた一大イベントが必要だったのかどうか。

 ちょっと考えれば、だれにもわかる話です。 

 

  われわれ〝外野〟の人間がいくら大きな声を出しても限りがあります。

 選手自身が、その知名度を生かしてずばり発言していれば、状況も少しは変わったのではないか。

 人びとに支援されない五輪、スポーツなんて、ぞっとします。