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実はブログで私見を書くことにもいささか抵抗があります。
おそらくTwitterが出始めたころに観た番組の影響が大きいと思うのですが。
何かは忘れましたが爆笑問題がNHKでやっている番組に劇作家の野田秀樹が出ていた回です。
「感じたことや思いついたことをつぶやいて、それに周りから共感を得てしまって終わり、消費してしまって、それを元に話を膨らませたり自分の糧にすることが無くなっていくんじゃないだろうか。そんなことは人に言うことじゃなくて自分の中で抱えていくことなんじゃないか」、みたいなことを言っていた。
……結構影響されやすい性質のようです。
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・小林泰三『天体の回転について』
・三浦しをん『きみはポラリス』
・小野正嗣『マイクロバス』
・森博嗣『相田家のグッドバイ』
・安部公房『箱男』
・ワシーリー・ペスコフ『アガーフィアの森』
最近、楽しみに観ていた楽しいムーミン一家が、冒険日記になってしまって哀しい。
・小林泰三『天体の回転について』
SF作家だと思っていたのですが、デビューはホラーらしいですね。グロい描写が多いとか。
――科学とは無縁の世界で育った青年はある日、月世界を目指して天空へと伸びる「天橋立」に向かう。そこで待っていたものは、とびきり可愛い謎の少女だった―無垢な青年が抱く、宇宙への憧れとみずみずしい初恋を描いた表題作のほか、ロボット三原則の盲点が引き起こす悲劇を描いた「灰色の車輪」、宇宙論とクトゥルフ神話が驚愕の融合を果たす「時空争奪」など、ヴァラエティに富んだ全8篇収録の傑作ハードSF短篇集。 ――
確かにグロいところも話によっては無くはないけれど、それ程多くも不快でも無かった。悪意を感じないグロさというか。中には明らかに不必要で過剰で下卑たグロシーンを書く作家もいるけれど、そういった文体ではない。
表題作は、ちょっと世界観がいまいち理解できなかった。科学文明の存在しない場所と、月エレベーターが当たり前のこととして存在している「妖怪」たちの住む世界。一昼夜歩けば辿りつける程度の場所にあって、互いに何の干渉もしない。それどころか一方は科学を悪魔のごとく恐れていて、もう一方は主人公に無関心である。
あとがきでは『――この作品の舞台は軌道エレベータが建設され、さらにそのことがすっかり忘れ去られた未来の時代である。』となっているが、「妖怪」たちはそこに住んでいるわけだし、忘れ去っているわけではないのでは。かといって「妖怪」はロボットのようなものでもなく、現代人的営みをしている描写もある。主人公はアーミッシュ的な人たちなのだろうか? うーん。
他の話では『あの日』や『銀の船』がひとひねりあって面白かった。オチがある話が好きかも。
・三浦しをん『きみはポラリス』
『まほろ駅前多田便利軒』をいつだか読んだ事があったような。でもあまり憶えていないのでほぼ初見です。最近よく耳にしますね。
――これって恋or愛?いえ、これこそ恋愛そのもの。世間の注目も原稿の注文も「恋愛」のことばかり。なら、とことん書いてみようじゃないの!ということで生まれたただならぬ「恋愛短篇集」。初恋、禁忌、純愛、結婚、信仰、偏愛、同性愛…本気で恋し、だれかを愛したいなら読むしかない!われらの時代の聖典。――(帯より)
恋愛小説って好んで読まないのですが、読みやすい文体で、女性的な雰囲気のする小説集。
男性同士、女性同士、人と犬、生きている者と死んだ者、など変わった設定も多く、角田光代的作品もあればコメディのようなハイテンションの作品もあり、面白かった。
『永遠に完成しない二通の手紙』と『永遠に続く手紙の最初の一文』は青春な感じでいいですね。
・小野正嗣『マイクロバス』
――口のきけない青年は、入り組んだ海岸線に沿って、ただバスを走らせ続けることしかできなかった。まるで、世界を縫い合わせるかのように――。芥川賞候補となった表題作と、自身が人魚であると信じる老婆の物語「人魚の唄」を収録。寂れた漁村が特異な輝きを帯びる、神話的な二篇。三島賞受賞作家、渾身の野心作。――(新潮社ホームページより)
正直な感想を言えば、難解でよく分からん。
運転が上手な知的障害を持つ青年が、毎日老婆を乗せてマイクロバスで青年の子供の頃の思い出や老婆の過去を行ったり来たりしながら、海岸線を走る。そういう話。
小野正嗣を読み始めたのは、『森のはずれで』の一節で「森には葉のついた木など一本もないのに葉の降り積もる音が聞こえていた」というところがなんか気に入ったからだった。
この小説にも『――中身をあけられたケースはきれいに洗われていたが、さなぎからかえったカブトムシたちが、つるつるした透明な壁をひっ掻く音が聞こえていた。(中略)飼育ケースの中では、そうした音だけがうごめいていた。』があり、やはり好きだなあと思う。
『人魚の唄』は読みやすいし、わかりやすかった。「普通の」小説のようだった。どちらかというとこっちのほうが好きである。
・森博嗣『相田家のグッドバイ』
今回はミステリではありません。
――普通の家庭だったけれど、ちょっと変わった両親。最後に息子がしたことは破壊だったか、それとも供養だったのか?さよならだけが現実だ。血は争われない。森博嗣の家族小説。――(帯より)
普通の家庭か? と思うが、作者的には普通なのかもしれない。
母親が変わっている。相田家では燃えないゴミは出ない。なんでも家に収納してしまうのだ。当然部屋は物で一杯だが、ゴミ屋敷とかではなく、きちんと収納されている。さらにその中に印鑑や通帳などの貴重品を隠す。たまに忘れてオーブンで百万円を焼きそうになったりもした。
主人公が子供の時から、大人になり、そして両親が亡くなり家を解体するまでを追った作品。入院とか老人ホームとか、役所や銀行の手続きなどリアルに書いている分、他人ごとではない想いに駆られて親のことが心配になる小説。
・安部公房『箱男』
――ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく迷路。実験的精神溢れる書下ろし長編。 ――
いつか読んでみたいと思っていたら、家にあった。
箱男という発想が凄い。箱男は都市に何人もいて、普通の人には居ないものとされる存在(現代のホームレスのようなものだろうか)。
主人公のぼくは箱男であり、その記述によって話は進む。しかし途中贋箱男と立場が入れ替わるところがあり、どっちがどっちだかわからない。
でも表現が真似できないくらい独創的で感動する。
安部公房って初めて読んだが、もしかして面白いかもしれない!
・ワシーリー・ペスコフ『アガーフィアの森』
ノンフィクションです。
――野生動物だけが生息するシベリア針葉樹林帯で、30年以上自給自足していた家族が発見される。老人に率いられたその家族は、信仰を守るため、約300年前にこの地へと逃れてきた一族の末裔だった。家族以外の他人に一度も会ったことのない純真無垢な末娘、アガーフィアの、驚くべき忍耐力と溢れるばかりの好奇心…。ロシア全土が固唾を呑んで見守ったルイコフ一家の運命。その「事件」の全貌。 ――(「BOOK」データベースより)
300年前の宗教改革に反対し、今までの信仰を守るため森に逃れた一族。その後約40年前に異端狩りから逃れるためさらに人跡未踏の地へと住処を変えたルイコフ一家。そこで生まれた末娘は外の世界を知らないで育った。
食物は畑で育てたジャガイモとヒマラヤスギの実、魚。塩も無く、鉄製品もほとんどなく、麻を育てて糸を紡ぎ、ぼろぼろの家で5人が暮らす。
偶然資源探査エンジニアに発見された時、一家の置かれた状況はそういうものだった。
このことがニュースになり、国中が知ることとなって、一家の生活は変わった。様々な物資が届けられることになったのだ。
一家は全てを受け入れたわけでも、すべてを拒絶したわけでもなかった。塩や衣服は謹んで受け取り、代わりにジャガイモなどを提供した。しかし科学や文明が作り出したものは全て拒否した。「それは私たちには禁じられています」。
しかし、一家のうち3人が相次いで亡くなり、年老いた父親と末娘のアガーフィアだけになって、それもだんだん変わり始めた。
一家の重要事項は信仰であり、すべては神の為だった。しかし、二人だけで人跡未踏の地で生活することは難しく、周囲の人々の善意なしでは暮らせなくなっていった。
結果、禁じられていると断ってきたマッチや、懐中電灯、テレビなどをだんだん受け入れるようになっていった。決して堕落したわけではなく、信仰が第一であることに変わりはなかったが、アガーフィアは飛行機や列車に乗り親戚に会いに行き、ストーブで暖をとる生活になった。
父親が亡くなった後、人々はアガーフィアが森を出て親戚と暮らし始めると思っていた。しかしアガーフィアは父の祝福を得ていないと言い、森には全てがあると主張して一人で森で暮らし始めた。
それでも、最初に比べればルイコフ一家の生活は一変したと言っていい。
なんだかそれを、哀しいことのように思ってしまった。文明を知らない人に文明を教えるのはさぞかし楽しいことだと思う。が、文明に「毒される」ことが無いように、とも思ってしまう。
……『MOTHER3』を思い出した。あれも自然と文明の話だったなあ。
つながることってそんなに大事なことですかね。なんだかどんな話も共感されると地均ししたように平板な話になってしまう気がする。
でも、聞いてもらってなんでもない話にしないと飲み込めないようなこともある。時には慣れ合いもあってもいいと思う。
結局どっちとも言えないが、当分SNSをやるつもりは、ないかなあ。
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はい。では。
さようなら。
『◆わたしはトカゲ。
◆あなたの ゆくべきほうこうを さししめす
◆まわれ わたし!』