時代小説読みますが、テレビの時代劇は好きじゃない。
マンガも結構見るけれど、実写化されるとまず観ない。
というかそもそも、ドラマを観る習慣がない。
でも、ツクリゴトは好んでいる。
つまり、現実の人間が絵空事を演じているのが厭なのかもしれない。
いわゆる二次元中毒なのだろうか……。
でも、テレビドラマも言ってしまえば二次元なのではないのかな。平面であるし。
三次元ではないと思う。もし三次元なら3Dムービーなんていうのはオカシイし、それでいったら3Dゲームは三次元になってしまうのでは。
八杉将司『Delivery』
SFに次元なんか関係無い! ハヤカワSFシリーズJコレクションです。久しぶりに読んだ。
――ノンオリジンの少年アーウッドは、天上に輝く月という“神の世界”に憧れていた。だが、突如として起きた原因不明のスーパーディザスターにより、地球は災厄に見舞われた。それから10年―。荒廃した世界で仲間とともに生き延びたアーウッドは、地球と月をめぐる畏怖すべき運命に巻き込まれていく。日本SF新人賞受賞作家が満を持して放つ、ある“誕生”の物語。――(本書より引用)
もともと藤田雅矢『星の綿毛』に出会って読み始めたこのシリーズ。そこから飛浩隆の廃園の天使シリーズ(続きが出ない)や紺野あきちか『フィニィ128のひみつ』、円城塔や平谷美樹を知ったのもこれ。思い出深いシリーズ。
ここから派生して海外のSFも読むようになった入門書です。『地球の長い午後』や『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』、『月は無慈悲な夜の女王』はタイトルも良いですよね。
月がテラフォーミングされ、居住地になっている世界。チンパンジーの遺伝子からヒトを造り出す実験から生まれた「ノンオリジン」と呼ばれる主人公アーウッドと仲間たち。彼らは人間とはみなされず人体実験用の素材として、いつか月に送られる日まで育てられていた。
そこに原因不明の大災害が起こり、生き残ったアーウッドたちは荒廃した地球で生き延びていた。
ある日、事故を起こし倒れていた人物を拾う。その人物は背格好は人間だが顔がゴリラのようだった。グランツと名乗るその人は主人公たちの何世代前かの実験で生まれたノンオリジンで、世界を旅しているという。
自分たちの子供を残したいと願うアーウッドと恋人のキュリアは、仲間から離れグランツの旅に同行することになる。結婚式の夜、謎の質問を投げかける男に出会ったアーウッド、その後戻った居住地は破壊されており、仲間が殺されていた。そこへ先ほどの男が現れ、アーウッドは心臓を抜き取られ意識を失う。
目覚めた時、アーウッドは脳と脊髄のみのロボット(ポーターと呼ぶ)になっていた。アーウッドをポーターにした男は月からグランツを追ってきた政府の人間だった。
グランツはスーパーディザスターを起こす原因となった粒子を発見した世界最高の頭脳を持っていた。
もうひとつのグランツを追う組織が居住地を破壊し、グランツと何人かの仲間を連れ去ったという。感情すら制御されたアーウッドは、「カヤノ」と名乗るその人物に協力することになる。
なんやかんやで月に連れ去られた仲間とグランツを追い、アーウッドは月へ行く。月でAIの「ハーフ」と共に乗り込んだ敵の基地で、同じくポーターにされたかつての仲間「ジェイド」に再開する。しかし同じく感情制御されており和解できず、基地を破壊する。
その後陰謀に巻き込まれ二度目のスーパーディザスターが起こるものの阻止、事態は一時収束(?)。肉体を失ったアーウッドはAIのハーフの体に移る。ポーターにされたキュリアとも再開し、グランツと共に発生した極微のブラックホールを消し去る任務に就く(頭脳労働)。
しかし何度消しても繰り返し発生し、その度に巨大になるブラックホールが、実は異物を排出(出産―デリヴァリ―)するためのワームホールではないかと仮説を立てたアーウッドとキュリアは、二人の意識を結合し、ワームホールの向こうにあるかもしれない新しい宇宙へと旅だった。
失礼だが物凄く端折って要約するとこんな感じの話。
読後感が寂しいのは最後の一文のせいだろうか。
内容は場面がめまぐるしく変わるサイエンス・フィクションで、後半はスペース・ファンタジー。説明文やプロローグからは想像できない展開。文章は翻訳もののようなハードボイルド、だけど乾いていない。これ、という枠に嵌められないかなあ。
カタカナ・横文字・ナントカ理論が頻出するのは、以前読んだ伊藤計劃的ではある。
どうも荒廃した地球、ということでゲームの『Fallout』の世界観をイメージしてしまった.。途中、主人公が脳と脊椎のみを残してポーターになってしまうところも、『Fallout:New Vegas』にそんなイベントがあったなー、と思ったり。
脳味噌だけで生きている人は色々な作品に出てはいるけれど、脳さえ生きていればそれは「その人」なんだろうか。『攻殻機動隊』なんかは脳すら電脳化していたなあ。
死なないとして、どこまで自我を保っていられたら人なんだろう。こういう問いの究極は、『火の鳥 未来編』のマサトだと思う。この広い世界にたったひとりぼっち。
二次元とか三次元が問題なんじゃなくて、それを共有できる人がいるかいないかが問題なのかもしれません。一人で3D映画を観に行くのと、同じ本を読んで同じ話題で盛り上がるのではどちらがいいのだろう。
どちらもまたいいですけどね。こういうかたちで見知らぬ誰かに語りかけるのは、どちらでしょうか。
それではまた。
さようなら。
『そのアイテムは ボクがねむっているときに ユメの中で 手に入れた物ニャ』