授業で『山椒大夫』の話が出たことがある。貴種流離譚がどうこう…と板書していた教師が不意に振り向いて、生徒たちに言った。
「君たちまさか山椒大夫が女性だと思っているんじゃないでしょうね」
森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』(新潮文庫)
子供の頃、何かの本で「安寿と厨子王のごとく引き離され」という一説に当たり、さっぱり理解できなかったたことを思い出す。
その時は確か母に訊いて、「そういう話があるのよ」とざっくり答えられ納得したような憶えがある。
だから、『山椒大夫』は安寿と厨子王という二人が離ればなれになる話なのかと思っていた。
――人買いのために引き離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う――(本書より抜粋)
違った。
子供の頃だから記憶違いもあったかもしれない。本当は「“母の元から”安寿と厨子王のごとく引き離され」たのだったかも。
そもそも安寿と厨子王が姉弟だとは知らなかった。勝手に恋人同士だと思っていた。それは山椒大夫を芸者だと思っていたことも影響するかもしれない。
厨子王と引き離された安寿は意地悪で高慢な山椒大夫の納める妓楼で働かされていた。一方厨子王は恋人の安寿を助けるため東奔西走、さまざまな苦難を乗り越えついには安寿と再会、幸せに暮らしました。
というような、まるで時代劇版マリオとピーチ姫のごとき話かと勝手に想像していたとは知り合いにはとても言えない。タイトルだけでここまで誤解される話もそう無いだろう。
本当は、筑紫へ左遷され音沙汰のない父・平正氏(律令制四等官の中での第三位の位)に会いに行くため安寿(14)厨子王(12)と母、乳母が旅をしていたところ、人買いに騙され安寿と厨子王は母と乳母と引き離される。(乳母はその場で身投げをした)
山椒大夫(大夫はここでは貴族か豪族、地主のような存在を指す)の元へ売られた二人は姉は潮汲み、弟は柴刈をさせられながら泣き暮らす。
ある日二人がいつものように夢のような脱走計画を話していると、たまたま大夫の息子・三郎が聞きつける。逃亡を企てる者には烙印をすると言われた二人は、寂しさゆえのただの空想だというが、夜中にやってきた三郎に引き立てられ安寿は頬に、厨子王は額に十字の焼きゴテを押しつけられる。そして二人が守り本尊の地蔵尊に祈ると、傷も痛みも消えていった、という夢を二人で見る。地蔵の頬と額には、十字の跡が付いていた。
そのことがあって以来、安寿の様子が沈み込みがちになり、いつも何かを思案しているように口をつぐみ、厨子王にも訳は言わなかった。
ある日、安寿は大夫のもう一人の息子・二郎に願い出て、自分も厨子王と一緒に山へやるように言う。
面白がった大夫は安寿の髪を切り、下男として山へ出す。山の頂へ登った安寿は、厨子王に眼下の道を指しながら「ここから都までは近い。お前だけ先に逃げ、父に会い、それから私を助けにきておくれ」と諭す。それでは姉がひどくいじめられると嫌がる厨子王に、金で買った者を殺すようなことはしない、お前の分も働くから大丈夫だと守り本尊の地蔵を渡し、送り出す。見送った安寿は沼へ入水する。
一方厨子王は途中、寺の住持曇猛律師(どんみょうりつし)に助けられ、僧となって都へ上がる。都の清水寺で、厨子王の持つ地蔵尊のお告げを見た関白の藤原師実と出会い、厨子王は身分が認められて還俗し、平正道となった。
しかし赦免状を持って行ったときには父は既に亡く、正道が跡を継いで丹後の国守となった。正道は人の売買を禁じ、安寿の入水した沼の畔に尼寺を建てた。
しかし母だけはみつからず、人任せにして自分で探さないからだと捜し歩く。ある大きな百姓家で、襤褸を着て何やら口ずさみながら鳥を追う盲目の女を見かける。立ち止まった正道がその歌をよく聞くと、「安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生あるものならば、疾う疾う逃げよ、逐わずとも。」と言っている。正道は駆け寄り、守り本尊を母の額に当てると、目が開き「厨子王」と言った。
という話。安寿、死んでしまうんだ…。
山椒大夫という人が実際にいて、その話をもとに書いた小説らしい。だから有名なんだろうか。
他に収録されている作品は、小説よりは自伝的なものが多い。横文字と注釈が頻出するのでさっとは読めないが、森鴎外ってどことなく厭世的な雰囲気を持っている作家ですね。と思った。
それでは。
さようなら。
『アタシはいいや 遠慮しとく
誰かが言うんだ ここに居とけって』