昨日の私の履歴書⑥はご覧いただけましたでしょうか。
アナログ写真を引っ張り出して、すごく時間をかけて完成させました。
もしご覧になっていない方は、よかったら過去の分も併せてお付き合いいただけるとうれしいです(^^)
↓前回までの履歴書はこちら↓
大学3年生で体験した、私の人生を語る上で外せない出来事。
それはLAへの語学留学でした。
よく、海外へ行って人生観が変わると言いますが、
それとは少し違います。
まず、LAに留学するまでの過程で人生観が変わったんです。
私は、大学入学と同時に、
「3年生の夏休みに自力で語学留学に行こう。」と決めました。
それを本当に実現させたことで、
自分はやればできるということ、
自分が相手である以上できないことは何もないということを学びます。
留学を実現させるまでの2年半は、
留学への強い気持ちと地道な努力がありました。
1年生からバイトをして少しずつお金を貯め、
多少バイトがきつくても「留学の夢のため!」と踏ん張りました。
大学2年の後半から現地の語学学校を探して、3年生になった頃に自分で手配をかけました。
時差があるので問い合わせの電話や書類のFAXをやり取りする時間帯が限られていたのが大変だったのを覚えています。
エージェントは一切利用せず、親からの援助も受けず、
文字通り「自力で」の留学が実現しました。
それまで一度も海外に出たことがなかったのに、我ながらよくやったなと思います。
出発前の飛行機の座席で、胸がいっぱいになって涙ぐみました。
「2年前に決めたことを、きちんと計画通り実現できた。
私って、やればできるんやん・・・!」
私にとって、年月をかけて夢を実現させたのはこれが初めてでした。
一浪して大学に入ったばかりの時は、自力で留学なんて壮大な夢のように感じていたけど、お金も学校の手配もホームステイも、全部自分でちゃんとできた。
ものすごい達成感でした。
10時間以上かけてLAに着き、お迎えの学校関係者に市内へ連れて行ってもらい、ホストファミリーと引き合わせてもらって…
私の楽しいLA生活が始まりました。
語学学校では、後に長いお付き合いになる友人とたくさん出会います。
日本人も含め、いろんな国の友達ができました。
それから、ホストファミリー!
とっても優しいパパとママに出会い、アメリカ人の生活や文化をたくさん教えてもらいました。
ホームシックに一度もならなかったのは、パパとママのおかげです。
この数年後、結婚するまで何度もホストファミリーの家に行くほど深いお付き合いとなりました。
10年以上たった今でも仲良しです。
そうそう、この時に私の名前、あや子がファミリーになかなか覚えてもらえなかったんですよね。
ダイニングテーブルにAyakoと書いた小さな紙が置いてあり、紙をチラっと見てから私の名前を呼ぶ…というのが2週間くらい続きました(^^;)
アヤコって覚え辛いんだなあ、というのが強烈に印象に残りました。
将来自分の子どもにはインターナショナルな名前をつけたいと思い、
娘にはその通り、日本でも海外でも通じる名前をつけました。
そしてその名は、ホストマザーと同じ名前でもあります。
むこうでは親子で同じ名前をつけることがあるようで、実際にこのファミリーのパパと息子も同じ名前でした。
昨年娘を産んでホストマザーに同じ名前をつけたと報告したら、泣いて喜んでくれました。
私はこのLA滞在中、5つの目標を掲げていました。
①英語力を鍛える。
②視野を広げる。
③外から日本を見て自分の国の良さを知る。
④テロはアメリカ人への嫉妬から起こったとアメリカ人は考えているというニュースを見たけど、それは本当なのか確かめる。(私の留学は9.11の翌年でした)
⑤自分を好きになる。
日記等を見返さなくても、この5つの目標は未だにハッキリ覚えています。
すごく情熱を注いだことの表れですね。
目標は、全て達成できました。
内容は長くなるので小さい文字で書いておきます。
お時間がありましたら見て下さいね(^^)
1つめの英語力は、帰国後のTOEICで自己ベストを更新し、700点を超えました。
(後にその点数が30歳を過ぎた英語を使わない会社員の私に超えられることにはなりますが…)
2つめの視野を広げることについては、特に努力はいらないくらい、毎日が新たな発見と学びの連続でした。
日本では当たり前だと思っていた自然分娩がアメリカではマイナーであることなどを知り、日本だけの価値観に縛られず、グローバルな視点で物事を考えるクセがつきました。
3つめの日本の良さについても、たくさんの収穫がありました。
それまで海外に出たことがなかった私は、恥ずかしながら日本の良さが全く分からず、欧米こそが素晴らしいと思っていました。
だけど、日本の車やアニメがアメリカで普通に流通しているのをみて誇らしく思えました。
海外では置き引きやスリが多く、治安の悪い場所があるのが当たり前で、日本がいかに平和で安全かを思い知ったり。
日本の良さを知れたことが、一番インパクトが大きかったかもしれません。
4つめのテロに関する意見については、ホストファミリーにインタビューして現実を知りました。
私が見たニュースでは、アメリカ人はテロリストがアメリカに嫉妬しているんだと考えていると報じられていたけれど、それは個人個人で意見が違っていて、別の考えの人もたくさんいるし、地域ごとに偏りがあったりもするものだと教わりました。
ニュースが全て事実ではないこと、TVを鵜呑みにしてはいけないことを学びました。
そして自分を好きになること。
これは留学や留学中の目標を達成できたことで、ずいぶんと自分を認めることができました。
たった2か月ちょっとの短期留学でしたが、
単なる英語力向上だけでなく、人生観・人格形成に大きく関わるような学びをたくさん得られた経験となりました。
大学生活は、かけがえのない仲間との幸せな時間と、
留学を自力で実現して人生観を変える体験とで、
本当に本当に充実したものとなりました。
もし、人生のどこかに戻れるとしたら、私は大学時代に戻りたいです。
あの楽しさ、あの青春を、叶うことならもう一度味わいたい。
そんなこんなで、大学の4年間で私という人間が大きく変わり、
就職活動も楽しんで取り組むことができました。
実は就活しながら起業の道も検討したのですが、まずは社会人を経験しようと思い、
いくつか内定をもらったうちの、建設・不動産業界の会社で営業職として生きる道を選びました。
大好きな英語は、仕事にすることをやめました。
この時はなんとなく、好きな英語が楽しめなくなるのではないかという気持ちになりました。
英語を使う職種とそうでない職種を検討して、英語を使わない選択をしたのでした。
そして入社した会社で、
運命の出会いがあり、
第2の青春があり、
実家で事件がおきるなど、
波乱万丈の会社員生活が始まるのでした…。
この続きは、また明日。
長い文章におつきあいいただきありがとうございました!