(ブログ読者の投稿です)

あれから11年…茜浜殺人事件

 

東日本大震災(2011)による混乱もようやく落ち着きを見せてきた平成25年(2013)6月、習志野市内で殺人事件が発生しました。

 

 6月24日の朝、谷津干潟を超えて船橋市と境を接する茜浜一丁目の遊歩道に女性が倒れているのが発見されました。発見者は、酔っ払いが倒れているのかと思ったそうですが、警察によって女性の死亡が確認され、首には絞められた痕、激しく争った形跡も認められました。習志野警察署は殺人事件と断定し、捜査本部が設置されます。

 

 ほどなくして被害者は特定されました。現場に近い谷津のマンションに住む人材派遣会社社員、広畠かをりさん(47歳)でした。広畠さんは夜間、船橋市高瀬町の食品工場に勤務しており、自転車で通っていました。国道357号若松交差点の先にある現場は自動車の往来は多いものの人通りは少なく、植栽がうっそうとして夜間の照明も暗い。叫んでも近くに人家はない、という場所でしたが、マンションから職場に行くには近道になっていました。23日の夜も午後10時から勤務する予定になっていたのに無断欠勤したので、同僚が広畠さんの携帯電話に電話した。しかし広畠さんは出なかった、ということもわかってきました。

 現場には広畠さんの所持品が散乱しており、財布には現金が残っていなかったため、捜査本部は金銭目的で面識のない犯人に襲われたものと見て捜査を進めますが、有力な目撃情報がなく、捜査は難航してしまいます。「捜査特別報奨金制度」の対象事件として、情報提供者には300万円の懸賞金が支払われることになりましたが、それでも犯人逮捕につながる有力情報は得られなかったのです。

 その膠着していた捜査がにわかに動いたのは、事件発生から3年近くが経過した平成28年(2016)3月のことでした。捜査本部は別の窃盗事件で府中刑務所に服役していた中国人Y(50歳)が犯人であるとして、Yが府中から出所すると同時に殺人容疑で逮捕したのです。世間には犯人逮捕の安堵感よりも、取材陣のカメラを見て不敵に笑うスキンヘッドのYの姿に嫌悪感を覚えた人も少なくありませんでした。

捜査本部によると、周辺の防犯カメラの解析、遺留物の分析などを続けてきた結果、Yが浮上したもので、被害者の体に付着していた微量のDNA型がYのDNAと一致したため、逮捕に踏み切ったということでした。

 ところがそれから3週間ほどした3月24日、Yは処分保留で釈放されてしまいます。しかも、服役中に在留資格が切れていたとして、身柄は東京入国管理局に引き渡しとなり、即日中国へ強制退去となってしまったのです。千葉地検は処分保留とした理由について「起訴に至るまでの証拠が集まらなかった」としており、追って6月には嫌疑不十分で不起訴処分となりました。そして、Yに替る真犯人も現れないまま、事件は語られることもなくなり今日に至っているのです。

 

 Yの逮捕は警察の勇み足だった。真犯人は別にいる―。少なくとも検察の処分からはそういうことになります。

 Yの実名もちゃんとわかっているのですが、今となっては不起訴処分が確定していますから「無関係の人」ということであり、その人権に配慮する必要があります。不起訴処分には確定判決のような「一事不再理」の効力はないので、理論的にはあらためて捜査し起訴に持ち込むことも可能ですが、本人は中国にいます。事実上、これ以上Yを追及することはできない状態になっています。

笑いを浮かべるY容疑者

 

 平成22年の刑法・刑事訴訟法改正で、殺人罪の公訴時効は撤廃されました(改正前は25年でした)。習志野警察署は、犯人を永久に追い続けなければなりません。

 世を騒がせた八王子スーパーナンペイ事件(平成7年)や世田谷の宮沢さん一家殺害事件(平成12年)などの未解決事件は、いまだに警察は情報提供を呼びかける“年中行事”を続けています。しかし茜浜事件に関しては、そうした呼びかけが行われている様子もありません。警察はいまだに、Yこそ犯人と考えているのでしょうか。それとも、どこかに真犯人が、いまだに身を潜めているのでしょうか。

 

 新たな進展もないまま10年が過ぎ、11年目を迎えようとしています。広畠さんのご遺族には同情を禁じ得ません。それと同時に、わが町・習志野で起った未解決殺人事件が、こうも簡単に忘れ去られてしまうことに、思わず怖さを覚えます。

広畠さんのご冥福をお祈りし、必ず犯人が断罪される日が来ることを信じたいと思います。

 

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