百済、どう考えても「クダラ」とは読めない
皆さんは朝鮮半島の歴史を習った時、「百済をなぜクダラと読むの?」と不思議に思ったことはありませんか?
百済は日本語の音読みでは「ひゃくさい」、韓国語では「ペクチェ」と読みます。どう考えても「クダラ」とは読めませんね。
良く、韓国語の「クンナラ(大きな国)」から来ている、という説明がなされています。韓国の人がそう呼んでいるのならわかりますが、韓国の人は「ペクチェ」と呼んでいるのに、日本人だけが韓国語の「クンナラ⇒クダラ」と呼ぶのは変だな、と常々思っていました。
大阪にある「百済」
ところで、日本にも「百済」という地名があるんですね。朝鮮半島から渡来した人たちが住み着いたので、こういう地名になったそうです。
百済国の中心都市「居陀羅(コタラ)」から、百済の訓読みが「クダラ」になった
こんなサイトがあります。
『日本国語大辞典;第4巻』の「くだら(百済)」の項を見ると、その語誌について、「「百済」をクダラと訓む由来には諸説あるが、馬韓地方に原名「居陀羅」と推定される「居陀」という地名があり、これがこの地方の代表地名となり、百済成立後、百済の訓みになったという説が最も合理的か。」と説明されている。
「居陀羅」を代表都市とする「馬韓」を吸収して建国された「百済」
3世紀ごろ、馬韓という地域はいくつもの小国にわかれていて、その中に「伯済国」があった。
馬韓を代表する都市として「居陀羅」(コタラ)があった。
その「伯済(ペクチェ)国」が勢力を伸ばし、馬韓の諸地域を併呑して「百済(ペクチェ)」という国をつくった。そして日本では、馬韓を代表する都市「居陀羅」(コタラ)の名から「クダラ」と呼ぶようになった。
ということのようです。
長年の疑問が解けたようで、スッキリしました。