町人の自治

国立国会図書館「御殿山花見 見立花の宴」 おひとりさま女性が、仕事のあとにお花見かな?(江戸時代は燗酒だった)

歴史教科書のジェンダーギャップ

近世は中世よりも女性の地位が高くなったとはいえない。教科書に出てくる女性も出雲阿国(いずものおくに)と和宮(かずのみや)の2人だけ。阿国はかぶき踊りが女歌舞伎に発展したが、芝居小屋から追放されてしまったし、和宮は天皇の妹だが、公武合体の象徴というだけで、みずから何ら政治的に表舞台に立っていない。

教科書にでてくる女性は、大学のグループワーク結果によると、古代は10人(男性107人の9%)、中世は4人(男性108人の3%)、近世は2人(男性212人の0.9%)。

古代は、卑弥呼、推古天皇、持統天皇、元明天皇、光明天皇、孝謙天皇、聖徳天皇。中世は小野小町、藤原道綱母、清少納言、和泉式部、紫式部、藤原孝標女、平時子、建礼門院、巴御前、静御前、北条政子、日野富子、於大の方、北政所、お市の方、まつ、細川ガラシャ、淀殿、茶々など。子どもたちはこれ以外の歴史上の女性については教えられないのだ。古代は卑弥呼以外はすべて女性天皇だが、その過半数は「女性天皇がいたよ~ん」と名前だけ。中世になると作家・歌人ジャンルの文化人、そして武将を支えた女性たち。

後世に名を残した女性は古代から9%→3%→0.9%とだんだん減り、女性の地位が古代からだんだん低くなっていることと見事に相関関係にある。そして近世、260年も続いたのに2名だけ。まるで女性は歴史上存在しないかのようだ。

日本史でも女性の偉人がいないわけではない。少し掘り下げれば、時代と奮闘して独自の働きをした女性はいくらでもいる。活躍した地方では郷土史家をはじめ地域の市民が業績を調査研究し編纂している。女性は名前をもたず、家系図からも消されていたけれど、紫式部、清少納言だって名前は不詳。残した業績だけで評価されての「偉人」なのだから、

教科書検定の縛りがあるのかも知れないが、こんな教科書を読んでいると、生徒は「男が社会を動かしている」と無自覚に学ぶ。そして中高校生くらいになると、女は能力がない、表にでるものではないということがしっかり刷り込まれている。そして差別の歴史をそのまま歴史としてインプットされた大人になる。そして偉人と言われる女性も誰かに奉仕をしたとか、努力を重ねて感動を与えたという存在で、男性のように主張して行動して未来を勝ち取った側面は描かれない。

 

「夢を描く女性たちイラスト偉人伝」ボムアラム タバブックス

 

韓国では、教科書に出てくる偉人が男性ばかりなのを疑問に思った出版社が、女性だけのイラスト偉人伝をだした。日本人は3名だけ。山川菊栄、石牟礼道子、田中美津。日本ではこの3人のうち、石牟礼道子は道徳の教科書にあるが、それ以外の2人はどんな科目にも載っていない。山川と田中はまっすぐフェミニズムに届く。教科書に載っていなくても、歴史の教員はぜひ、授業で紹介してほしい。

 

●ナイチンゲールのページ。

彼女は生前は「ハンマーを持った女」と呼ばれた。クリミア戦争時、将校用の薬箱を目の前にして、医療長官に「薬を下さい」と言ったが、「ないよ」と断られたため、無言で持ってきたハンマーで箱を叩き割った。絶句した長官に「開きましたので持っていきます」と立ち去ったというエピソードがある。イギリスではナイチンゲールは看護師だけではなく、統計学の業績も評価が高い。日本ではいまだに「白衣の天使」だ。男子高校生にナイチンゲールの写真をみせたら、「可愛くなかったんだね」と麻生太郎みたいなことを言う。ナイチンゲールまでルッキズムで差別する。がっかり⤵

●若いころのナイチンゲールと日本の絵本

 

町人自治体制

●町政の支配システム

江戸の町政は町奉行とその配下の与力・同心が支配するが、実務は3人の町年寄と250の町名主(まちなぬし)が行う。町年寄は江戸開府以来、奈良屋・樽屋・喜多村の三家の世襲制。日本橋本町に町年寄役所があり、ここで産業振興や土地管理、町令(町触)から訴訟事まで取り扱っていた。町年寄は幕府から拝領した土地があり、その地代が収入となる。

町名主は町年寄の下で担当地区の町政を任される。地主・家持のうちから選挙で選ばれる町の代表者。江戸中期より大家の代表が務めることも。

以上のような町政のしくみを「月行事・がちぎょうじ」といった。

江戸では土地をもっているかどうかで町人に明確な階層があった。

①     地主・家持→土地(沽券・こけん→土地・家屋の売り渡し証文)を持っている

 

 

②     地借→土地を借りて自分で家を建てる

③     店借→借家住まい

前回のおさらいになるが、①から③のうち、幕府が町人として認めているのは①だけ。①に代って土地や家を管理する大家(家守)も地主・家持の代理人として①に入る。どれだけ大きな店(大店:おおだな)を開いていても、何十人もの職人をかかえている親方でも、土地を持たない者は町人ではない。①の支払う町入用(ちょうにゅうよう:町人が支払う住民税。店の間口で課税額が決められる累進課税)で自治費用が賄われた。町内の自身番(自警組織)、木戸番(町ごとにつくられた木戸の住込番人)、町火消し、井戸や道路の普請は町入用で賄われた。町入用は土地を持つ裕福な者からとる。どれだけ儲けようと資産があろうと幕府に支払う税金はない。②や③の住人は無税。固定資産税はもちろん、所得税、住民税、消費税、公共料金(水道代、公共トイレなど)もゼロ。「公共」は金持ちがやるもの。人件費が伴うなら、②や③が雇われて公共のために働く。

日本の公営住宅の家賃は家賃が近隣相場の半分位なのはいいが、住民に「自治会」への強制加入をさせ、管理の一端(公益費支払、駐車場管理、植栽管理、雑草取り、清掃など)は公益事業と称し、自治会に負わせる。住民が高齢化した限界団地では、管理が行き届かず、廃墟化している。

 

もし、武士が町人の住宅を建てればこんな状況になったかも知れない。日本には「自治を育てる」文化はほとんどない。江戸時代にあった自治文化や人情はすたれる一方で、商人の社会事業マインドは見る影もない。現在の地域社会が生きづらいはずだ。

②や③に納税の義務がないといえ、そこは商人のことだから地代や家賃に上乗せされていたのだろう。だから②や③も間接的に税負担してる?有難がることはない。京都の町家のように商家がうなぎの寝床スタイルだったのは、間口の広さに応じて税がかかるので、間口の幅を狭くして、その分、奥を長くしたというもの。商人は職業柄、損得の発想力で為政者の裏をかく存在。明治時代は商人が始めればよかったのに。

 

京の町家のうなぎの寝床の間取り

 

町人の家計簿

江戸の町人といえば、「宵越しのゼニは持たない」というのが有名だが、これは職人の気質。商人は仕入れがあるので、ゼニは貯めてたのよ。江戸の職人のスキルは超人的。建築物から身辺のモノのすべてが職人の手によって作られる。マニュファクチュアや家内工場の時代。スイス人外交官のエメ・アンベールは「江戸の職人は真の芸術家である」と驚嘆している。

 

 

今も博物館の江戸時代の展示を見れば一目瞭然。工業製品と違って作った職人の顔が見える。

エメ・アンベール(1819~1900)スイス時計組合会長、スイスの全権公使として日瑞修好条約に調印、国会議員を歴任した後、スイス大統領

 

職人の腕は徒弟制度のなかでの長い年月の修行が必要で、一本立ちできる保証もなく、生活は苦しくとも損得勘定ぬきで、技を売って暮らしていた。江戸は景気が良く消費が増える中で、仕事はいくらでもあるし、ひとたび大火事があれば、職人需要は一気に高まる。食いっぱぐれはないから、宵越しのゼニはいらないのよ。現在2023年の日本、単身世帯の36%が貯蓄ゼロ。安倍時代30年以上も労働の対価が減り続け、貯蓄を取り崩してお金が手元に残らない人が増えている。モノを作っていれば明日の暮らしに困らないという江戸時代の安定がうらやましい。江戸時代からのモノづくりニッポンは工業化してもずっと続いてきたのに、IT革命に乗り遅れ、経済はマイナス20%衰退した。

●第1次から4次のIT革命 

 

もはや外国に追いつこうなんて無理。資源のない日本が成長する唯一の手段は「ものづくり大国」しかない。手先が器用なDNAが残っているうちに、ハンドメイド産業を育てよう。

輸入しなくても手に入る原材料で、たとえば竹籠でも編んで輸出したらどうか?「アートの国ニッポン」をコンセプトに未来を構築しよう。江戸時代の職人は質の高い仕事をするために、長時間労働はしなかった。途中2時間の休憩を挟んで一日4~5時間労働。現在、日本の労働者の労働生産率は低く長時間労働で、男性が家庭責任を果たせない。女性の賃金が低く、貯蓄に頼らざるをえない薄い社会保障や年金の低さ…そんな働き方を見直す経済や社会改革のヒントが江戸時代にはいっぱいありそうな気がする。

●Made in Japan竹籠 実用品でも6000円から1万円もする。

現在、インフレや公共料金の値上がりで、生活は苦しくなっている。株価は記録更新してもかつてのバブルとちがって庶民には届かない。とくに若い人は大変だ。賃金アップはあってもしょぼい。一人暮らしの生活費、総務省が16万円を基準にした目安で、費用別に示している。(年齢や男女別の細かいのもあるから、もっと知りたい人は総務省家計調査のHPで見てください)

一人暮らしでの生活費の目安

これは、これを目安として、節約してねという意図なのか?

それなら、Kokiが、この数字の評価をしてみよう。まず、家賃6万。近くの大学生たちが暮らすワンルームの中古アパート家賃と同じくらい。だいたい駅からバスか徒歩で通える。同じワンルームでも環境も設備もいいURの家賃はずっと高い。食費3万は一日1000円だと外食や中食は無理で、自炊。食材も満足に買えません。3万でやりくりすると栄養不足で健康維持できるかどうか? 自炊なら光熱水道費1万はありえません。電気、ガス、水道…設備はあっても使用料分は払えません。下水道は水道使わなくても請求される。風呂入れません。トイレは使うたびに水を流せません。通信費1万円はデジタル生活できません。娯楽交際費1万では、無料でやるとしても、交通費はでません。

これらの「できない」のうちから選択して、雑費3万円の中から支払う。

16万ではふつうの生活できないどころか生きていけないレベル。あまり節約第一主義になると、自分が何をやりたいのか?わからなくなる。ストレスたまっても解消できず、人と接する回数も減って、結局、動かなきゃ金はかからないでひきこもり増えそう。サイコパスも増えそう。「だれでもいいから殺したい」人 増えそう。

こんな数字はたぶん30年前。そのころ20万だった給料は日本では今も20万だが、支出は大幅に延びた。この16万円の手取り収入は、税金、保険料(健康保険、雇用保険)、厚生年金が天引きされたもの。天引きされる前の額面は約20万、年収240万。女性の収入とほぼ同じ。

江戸の町人は手取りと額面の差がなかった。大工など外仕事(出職)の場合は弁当代も入れて、1日8000~1万2000円くらい。明るいうちしか働けないので4,5時間労働。物価は今と同じくらいか少し高め。米は5キロで3千円くらい(政府が年貢取らないで産直にしたら、もっと安くなったのに)。江戸時代は外食がめちゃ安かった。寿司、ウナギ、天ぷら。路上の屋台のファストフードなら500円から1000円程度で充分食べることができた。職人は外食が多かったかも? 生活者にとって、江戸幕府は役にたたない不要の存在? 幕府がないほうが豊かに暮らせる。だから、町人は生活きつくなれば、打ちこわしで抗議した。今の日本政府、なにか役にたっている? 16万で暮らせと無茶いうなら、声をあげよう、税金申告もやめよう。

 

村・町支配ではない職業別共同組織

第1次産業から第3次産業までの庶民は、村や町の行政区分で管理されていた。だが、江戸時代がすごいと思うのは、そのような地縁組織とは異なる職種や機能をめぐる社会的な共同組織が存在していたということ。同じ業種で働くもの同士、行政区分を越えて同業組合をつくっていたことだ。

問屋では、材木、米、薪、炭、竹、油、塩、酒、醤油、茶。 仲買では、呉服、糸、紙、米、魚、石。 御用職人以外の職人では、大工、木挽(こびき:木を引いて材木にする)、屋根葺、石切、左官、畳屋。いずれも個人や小経営者で構成されている。

享保の改革で、それらの共同組織は積極的に公認されていく。町奉行所は、共同組織のない業種も地域単位ごとに同業組合をつくるように指導し、1721年には96もの職種が同業組合を設立した。紺屋(こうや・染物屋)、菓子屋、瀬戸物屋、革細工、下駄屋、三味線屋など。幕府は統合して支配しようとしたわけではない。江戸時代、戦争はなかったが、たびたび起きる大地震、大火事、火山爆発などの天災は、江戸幕府にとっては戦争に匹敵するほどの大ピンチ。村や町という行政の垣根を越えて、行政外の同業者組織が、災害からの復興に貢献することを幕府は経験から学んだのだろう。職人が結束して活躍してくれることで、将軍や大名はお家安泰。

職人、商人にとっては、組合という仲間との結束で、安定した仕事や手間賃、後継者を得ることができる。

とくに、田沼時代には、緊縮財政政策を捨てて、積極的な商業政策を採用し、同業組合の公認を積極的に行った。現代日本では経済団体はある(大企業の経団連、大企業の経営者の経済同友会、主に中小企業の商工会議所がビッグ3。「財界」と呼ばれる)が、産業別はない。

2023年経済3団体新年祝賀会

日本は労働組合は企業別で、産業別労働組合はほとんどない。政府も江戸幕府のように同業組合を推進しようとせず、むしろ、関西生コン(生コン業界の産業別労組)のように、弾圧するバカっぷり。

関西生コンの労働者たち 弾圧に対し裁判を起こし、次々と無罪を勝ち取っている。

 

 

労働者の連帯が産業の大きな推進力となることがバカ政府には理解できない。現在、赤字財政でも大企業以外の商業と製造業へのめぼしい政策はゼロに近い。企業向けの政策は、派閥パーティで献金を集めて議員の裏金にすることぐらいしか思い浮かばない。能登地震でも、江戸時代の職種別の共同組織があれば、素早い対応が可能だったのではないか? 

江戸時代、町の共同組織は、都市部だけでなく、農村部の農間稼ぎ(農民が農業以外の仕事を兼業すること)の職種にも波及した。

 

士農工商の身分枠に収まらない人々

 

江戸時代、教科書にでてこないか、ほとんど触れられないのが、基本的な身分からはみ出た人々である。「えた・非人」といわれていたが、現在は身分枠に収まらない人は「差別された人々」となり、排除された? なにか全くわからない。人々が差別をつくりだし、今も差別されている。子どもたちにきちんと教えるべきだ。

身分制度 差別された人々がいた。

江戸時代は、身分といっても憲法ないんだもんね。この身分制度は、入れ替わりOK。商人が武士になった坂本龍馬の家。農民が武士になった新選組の志士たち。コスプレすればそれで通じるようなものなんだよ。明治維新で、政府は四民(士農工商)平等で、1871年に封建的身分制度は廃止したが、新しい身分を作り出した。皇族・華族・士族・卒(下級身分の武士出身者)・祠官(神宮)・僧侶・平民。ほとんどが平民だから、あとの10%も満たない天皇関係と宗教者を序列化する無意味さ。えた・非人と呼ばれていた人たちは明治では平民に繰り入れられた。でも差別はなくなったわけではないが、それは明治時代に詳しく。

なお、「士農工商」について、昔は「士⇒農⇒工⇒商」の順に身分が低くなる、と教わりましたが、今はこの考え方は否定されています。詳しくは

 

の「士農工商のウソ」をご覧ください。

 

部落差別による冤罪 60年無実を訴える石川一雄さん

 

 

えた・非人の詳しい内容は、学校では教えない。非人が最下層。その上が「えた」。漢字ではケガレが多い(穢多)と書く。職業が野犬など殺す仕事(今でいえば保健所?)だったり、お墓を掘る仕事。死刑執行人。肉屋、葬儀屋、皮革加工や汚物処理などに従事する人を「えた」とした。そのような生き物の死にかかわる人々が住む地域を部落とよび、隔離されて住んだ。今も全国6千地区に300万人近くが住む(部落解放同盟)。

この封建時代の名残りの差別は、今も続いている。芝浦の食肉処理市場に「穢多に殺される動物はかわいそう」という嫌がらせの手紙が届くという。2009年にGoogle earthが古地図を表示したら、江戸時代以前の被差別部落の場所がはっきりと記されていた。また、ネットで部落の住所が公開され、企業がそのリストを入手し、就職の身元調査で利用していたり、結婚の身元調査で婚約破棄になったり…。

一方、被差別部落出身でも気にしないとする人は増えているし、差別的な発言をすると裁判で損害賠償を命じられるようになった。食肉工場は小学生が学校の社会見学に来て、職員の見事な手さばきに驚嘆する。ステーキ、すき焼き、ハンバーグがおいしいのは、その人たちの熟練のおかげだと、小学生から感謝の手紙が届くという。

非人というのは犯罪者。牢屋に入れられて、刑期を終えて出所しても社会から孤立し、差別された。「悪いことをしちゃいけない」ということと、差別は関係ない。罪を刑期で償った人を「また悪いことをする」と決めつけて、差別し社会復帰できなくするということは別物。流罪になった武士や宗教家が戻ってきても人々は尊敬し従った。親鸞、日蓮、世阿弥、源頼朝、西郷隆盛…。罪を認めない裏金国会議員こそ国会復帰できないようにしよう。離職して謝罪し、罪を償ったら、「非人」なんて呼ばないから、白状しな!(koki)

 

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