母親と向き合う


となった時


同居で存命なので(70代後半)


【実在】の母親、と


時によっては話したりします



一年前から


対話するものの


まぁ


さすがのゴミ反応 笑




ナリ心理学の母親関連の記事を


読んでいて


脳内、実在


という言葉を見て


(…あっ…


と思いました



仮に母親が


離れて暮らしていても


亡くなっていたとしても。



ダイヤモンドを思い出して


最高の人生にするために


向き合うことができるのは


【脳内の母親】


と、が重要だから。



そこで


【脳内の母親】


について


わたしが感じている


キーワードを挙げてみた



繰り返し出てきたのは


『可哀想』


という言葉。



こどもの頃から


ずっとそう思ってる!



無意識だっただろうけど


ずっと同情してきたかも。


今ひとつ


突き詰められないのも


この


【可哀想→同情】


があるからだな



でこの記事。


何回も読んでるのに


タイミングが合うと


マジで刺さる。



『可哀想=運が悪かっただけ。』





【神】である人の不幸を


とてもとても大げさに捉えてたけど


・幼くして両親に死に別れ


・幸せな家庭を知らず


・親がいない劣等感ゆえに


・望まれたからと言うだけの理由で結婚相手を選び


・数年経ったら、ろくに働かないポンコツ夫と判明しても


・宗教をよりどころにして、夫、こどもと向き合わず、


・もちろん、現実を変えるために行動できず、


・二言目には『来世で〜』とたくさんのことを諦めてきた



そんなこんなも


すべて


ただ、運が悪かった。



ってことやね



そして


『宗教に丸投げ』したのは


自分の頭で考える能力がないし


身についてないのは


頭が悪かったんだと思います



でも


昭和、戦後という時代を考えれば


今と価値観も違うし


仕方なかったとも思う



わたしが


同じ環境で育ったら


確実に母のようになっていたとも思う



ここまでは理解した。


つづきはまた 笑笑