よくある間違いーー!

 

母親を可哀想と思うのはジャッジではないよーーん(・∀・)

 
 
 
 
 
 
 
なぜなら、
 
本当に可哀想な人なのだからだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 

ただ、自分とは関係ない他人を、可哀想だと思うのはジャッジだと思うが。

 
 
 
 
 
 
それでも、
 
この瞬間にも、餓死や治る病気なのに国のせいで治らず、若くして亡くなっている人もいる。
 
 
 
 
それは
可哀想だと思う。
悲しい。
 
 
 
 
 
 
けど、目に見えてたり、
病気で若くして亡くなったり
事故にあったりした人は
もう明らかに可哀想でいいと思うし
 
それはジャッジではない。
 
 
 
けど、、
 
 
 
「40代で結婚してないのは可哀想」とか、
「30代なのに非正規雇用は可哀想」とか、
「子供が障害者で可哀想」とか
「離婚したのか、可哀想」とか
「人の輪に入れなくて可哀想」とかは、
 
ジャッジで、、
 
まぁ、その人をバカにしてるよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
怪我や病気の「痛み」って人類共通だから、
 
「うわ!痛そう!!可哀想!」
 
って思うのはジャッジじゃない。
 
 
 
 
 
 
 
 
他人への「痛くて可哀想」はジャッジではない。
 
だって多分、本人も痛いし。
 
 
 
 
 
が、
 
 
 
 

「生き方」や「価値観」は人それぞれだから、知りもしないのに、可哀想とか思うのはジャッジだ。

 
 
 
 
ここまでは、他人の話ね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

母親への可哀想は?

 
 
 
 
母親は、親だからね。
めちゃくちゃ自分と関係あるからね。
 
他人へのジャッジの話とはまた別だ。
 
 
 
 
 
 
 
母親について理解しようとして、
 
母親のおいたち
育った環境、
出会った出来事
etc..
 
いろいろ考えたら、母親を可哀想だと思ってしまうだろうし、
 
実際、可哀想なんだと思うし、
 
そもそも、
自分(子供)が被害受けてんだから、
 
子供に被害加えるぐらいまで、
母親もダメージがあったんだろう。
 
 
 
 
 
 
自分の子供に、
愛を与えられないくらい「弱ってる」わけなんだから、
そりゃ、可哀想でしょう。
 
 
 
 
だから、母親を可哀想と思うのは、
自分が母親問題ある時点で「事実」なんだから、
ジャッジではない。
 
 
 
 
 
 
 
母親は可哀想な人ですよ。
 
 
 
 
 
 
 
そして、ここから
 
「同情」にいくか、
「認めるか」です。
 
 
 
 
 
 
同情ってのは、
 
「お母さんは、たしかに可哀想な人だけど、、、本当のお母さんは、可哀想なんかじゃないんだ!お母さんは違うんだ!!お母さんは違うんだ!!」
 
って母親を守ろうとすることね。
 
 
 
 
 
 
 
 
これには、全く意味がない。笑。
そして、上記の質問者さんはたぶんこれをしてます。
 
 
 
 
 
 
なぜ、母親を守ろうとするのかといえば、母親が可哀想な人だとしたら、その子供の私も可哀想な子供になってしまうから。可哀想な私にはなりたくないから。
 
 
 
 
 
 
じゃあ、「認める」とはなにかと言うと。
 
「運が悪かったんだね。それだけ。別に母親が悪いわけでもないんだけど運が悪かった。でもそもそも日本に生まれてる時点でめちゃくちゃ運いいけどね。笑。まぁ日本の中では運が悪かった。運は誰のせいでもないから、仕方ないし、笑。母親が運悪かったのはどうしようもないことだ。ただ私もそんな親から生まれたので運は悪いと思うが、今はもう自分と向き合うことができてるので、一つ一つ乗り越えていけている。人は平等ではない。いい親に生まれて人もいる。私は親が少しダメなやつだった。なぜか、運が悪かっただけ。運は誰のせいでもない。」
 
ってこと。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世の中には
お母さん以外にも「運の悪い人」はたくさんいます。
 
テレビでもつけてください。
ニュース見てたら毎日運の悪い人が事件に巻き込まれてるでしょ。
 
事件を起こしてる犯人の生い立ちとか調べる機会があれば調べてみてください。
 
ほとんどの人が「運の悪い生い立ち」ですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
この「運が悪い」ってのは、現代の科学を持ってしてもコントロール不可能のカオス系です。運なんてこの瞬間もエントロピー増大しまくりですから。笑。
 
運を解明することはいつになったら、わかるんだろう。。。25世紀とか?無理かなーー。どうなんだろ。
 
 
 
 
 
宗教ってあるでしょ。キリスト教とか、仏教とか、
 
あれの成り立ちって全部「なんで私は運が悪いんだよ!なんで苦しいんだよ!」って思ってる人(庶民)に
 
「これこれこうだから、あなたは運が悪いんですよ、、」って説明してるのね。
 
 
 
「煩悩を捨てましょう」ってのは
「煩悩があるから苦しいのですよ」って意味だから簡単にいうと。
 
煩悩を捨てることで
「運の悪い自分は嫌だ!」っていう気持ちも手放せるってことね。
 
 
 
 
ほんで、
 
あなたが運悪いのは、原罪があるからとか。あなたが運悪いのは、前世までのカルマがとか。
 
当たり前だけど、そんなの全部ない。笑。あるわけない。
 
けど、科学がまだそこまで発達してなかった時期までは結構みんな本当だと思ってたんだよ。
 
人は死んだら身体が軽くなる、それは魂の重さだ!って言われたりしてるけど、養老孟司さんが「それ水な」って言ってた。笑。
 
科学がすべてだとも思わないが、神様もいないし、原罪もないし、前世もないし、カルマもないのなんか当たり前の話だけど、、、
 
「運が悪くて辛い人」には救いになる。
 
そもそも100年前ですら、第一次世界大戦ですよ。笑。人類の苦しさやばいでしょ。笑。今の比じゃないでしょ。
 
 
 
 
2021年に身体障害を持って生まれた人と、
1921年に身体障害を持って生まれた人とどっちの方が生きるの辛いだろうかって、考えたらどう考えても1921年でしょう。
 
だってバリアフリーもないだろうし、社会福祉もままならないだろうし、仕事とか、色々いまよりも弊害が大きいだろうし。
 
そしたら、
 
2021年に身体障害を持って生まれた人と、
1921年に身体障害を持って生まれて人じゃ、
どっちの方が、「自分は運が悪い」と思うかって、
そりゃ、1921年だわ。
 
 
 
 
 
 
 
そんな感じですげーー大きくいうと「運が悪いこと」に対して、人類は長い間ずっと戦ってきた。マジでずっと。
 
で、現代で答えが出たかと言われたら、まだ出てない、一番有力な答えが「人類は運の前では無力」である。
 
このブログを書いてるナリが明日、車の事故で亡くなる可能性はある。運悪く。
 
ナリがなぜ車で引かれたのか?それは前世?カルマ?日頃の行ない?違うだろ。
 
運だよ。笑。
 
うちのムッスメが父親を亡くしたのは、前世?カルマ?日頃の行い?、、違うだろ、、偶然だ(運)
 
 
 
 
ただ、
 
車に関しては、注意して生きることで引かれる確率は下がる。笑、
 
病気に関しても、気をつけてるだけで病気になる確率は下がる。
 
まー、色々気をつけてることはできるが、運の悪さは万人に平等だから何か起きるときは起きる。
 
 
 
 
話を戻そう。
 
 
 
 
 
 
 
あなたのお母さんは事実可哀想だと思います。
 
 
ただ、
 
可哀想なのは、運が悪いからです。
 
 
なぜ運が悪いのか、なぜかです。
 
 
現代の人類にはそれを解明するすべはありません。
 
 
 
お母さんが運が悪いと
子供も運が悪くなりますか??
 
 
 
可哀想な親に生まれてしまったことは運が悪いと思いますが。
 
 
 
それ以外は関係ないです。
 
 
 
 
 
なので、「母親は運が悪いだけなんだな、残念!」っと認められたら。
 
 
 
 
あなたはベつにただの普通の人です。
 
 
 
 
 
ただ、その可哀想な親に育てられたことで
「間違った価値観」を受け付けられてしまったことはしまったと思うので、
それは一つ一つ手放して行かないといけませんが、
 
 
 
 
それ以外は普通です。他の人と同じです。
 
 
 
 
母親への同情をやめて、
母親は運が悪かったんだな。
 
その親に育てられたのは
私も運が悪かったけど。
それに気づけたのは運がいいな。
 
母親に植え付けられてゴミみたいな価値観を、捨てていけば
 
もうあとは
関係ない。
 
私は、他のすべての人と同じ普通の人なのだから。
 
 
 
 
となる。