◆『へぼ侍』 OSK日本歌劇団

◆銀座博品館劇場

◆2024.2.1(金)~2.4(日)

 

◆キャストのみなさんと主な役(敬称略)

 

翼和希・・・志方錬一郎(元士族、士錬館道場の師範代。山城屋に7歳から奉公)

天輝レオ・・・松岡(桑名公の槍備の徒士頭の出身の猛者。博打で借金があり前金をもらって入隊)

壱弥ゆう・・・犬養仙次郎(=毅。慶応義塾大学生であり、報知新聞の記者)、毎日新聞の記者の井上

唯城ありす・・・お鈴(家族と家を失い、夜鷹をしている)

せいら純翔・・・沢良木(京の木屋町で小料理屋を営む、四条流包丁道を習得)

知颯かなで・・・三木(姫路酒井家の家中の出。姫路藩大坂蔵屋敷の勘定方だった)

柊湖春・・・遊女、西郷の泊まった家のおかみ

南星杜有・・・堀中尉(越後長岡の出身)、山城屋久左衛門(薬問屋の主)

凰寿旭・・・薩摩兵、カフェのボーイ、民衆

鼓珀響・・・薩摩兵、民衆

奏叶はる・・・農夫、民衆

ことせ祈鞠・・・遊女、民衆

 

 

劇場ロビーの売店横に置かれていたスポンサーさま一覧。

翼さんのサインとお礼の言葉が書かれていました。

 

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銀座博品館劇場でのゲネプロダイジェスト映像

 

 

 

 

 

前編はこちらです↓

 

 

 

 

第二幕

 

◆印象的だったシーンとその感想

 

☆戦で撃たれて包帯を巻いて倒れている錬一郎

 

第二幕が開くと、そこには血の付いた包帯を額に巻いて倒れている錬一郎がいた。

目を覚ました錬一郎は、真っ暗で何も見えなかったので、自分が極楽か地獄にいるのだと思い込む。

そこへやってきたのが堀中尉。

「堀中尉も亡くなったのですか?」と尋ねると、堀中尉は「勝手に殺すな」と錬一郎に近づき、額の包帯を外す。

錬一郎は、前夜の戦で相手の銃の弾が頭をかすめその場に倒れて頭を打ち、気を失っただけだと堀中尉に教えられる。

そして、戦が終わったことが告げられ、沢良木は征討本営付けの調理人として、三木は征討本営主計課としてそれぞれ栄転が決まったことを伝える。(ここ、芝居の中では「沢良木は神戸で料理人、三木は○○で証券取引の会社を云々、と言ってた気がしますが、うろ覚えなので、原作 P240~241 から補足させていただきました。どなたか、覚えている方、コメントやメッセージで教えてください)

 

※このシーン、頭に血のにじんだ包帯を巻いた錬一郎が痛々しく、胸が苦しくなりました。

この時の負傷した姿の錬一郎を演ずる翼さん、目隠し状態で鼻と口しか見えないのですが、その美しさにドキッとさせられました。

 

 

 

☆松岡の過去

 

松岡が一人でいるところへ、堀中尉がやってくる。

堀中尉は、松岡の経歴を疑問に思って調べたところ、桑名の松岡という人物がとっくに亡くなっていたことを知ったという。

堀中尉にうその経歴がばれた松岡は、バレたらしかたないと言って、自分が本当は江戸の出で、貧乏御家人の奉公人をしていて、

当主に従卒してあちらこちらに連れていかれたが、鳥羽伏見の戦いで敗戦した後に当主は消えてしまった。その後も松岡は戦を続けていたが、その途中、博打で知り合った桑名の松岡という男が亡くなり、松岡になりすまして官軍に入隊したことを白状する。

でも、松岡の戦の経歴に嘘はないということだった。

それならなぜ嘘をついたのかと聞かれ「一丁前のお侍になってみたかったんだ」と自嘲気味に松岡は言った。

全てを聞き終わった堀中尉は、松岡を責めることなく、明日も戦働きしてくれと言って去るが、松岡はその夜を境に姿を消してしまう。

 

※歌舞伎的なシーンといわれているのは、多分この場面ではないのかなと思いました。

堀中尉から問い詰められた松岡は、琵琶の音色をバックに自分の過去を告白しますが、七五調の流暢な語りが琵琶の音色と相まって物悲しく響き、松岡の独擅場となっていました。

松岡が士族の家に生まれたら、こんな博打うちにはならかったんだろうに、きっと苦労を重ねているんだろうな、と胸が苦しくなりました。

松岡は、武士の家柄に生まれて一人前の侍になりたかったんですね。

【歌舞伎の七五調の流暢なセリフ⇒文化デジタルライブラリー 歌舞伎編 黙阿弥

 

 

☆行商人となって薩軍の残党の行方を追う錬一郎

 

沢良木も三木も栄転で去り、分隊にひとり取り残された錬一郎は、堀中尉から、薩軍の残党の行方を探る探偵の役割を壮兵小隊に仰せつかったと伝えられる。

それは、正規の訓練を受けた兵士たちでは敵の目をくらますことができないため、壮兵小隊の兵士のような世慣れた者たちにこそ務まる役目だと言われた。

しかし、銃も刀も持たず、平服で行商人や記者に扮して各方面に向かい、薩軍の残党(主に西郷隆盛)を見つけ次第、後続の本営に連絡するという任務を、誰もが受けることをためらった。

そんな中、錬一郎は真っ先に立ち上がり、用意された古着の山から行商人らしい服を選んで着替え、あっという間に薬問屋山城屋の手代に扮した。(ここ、舞台では堀中尉が錬一郎に行商人として探ってくるようにと命じられていました)

沢良木も三木も去って一人となった錬一郎は、自分一人で薩軍の残党探しに出かけるつもりだと堀中尉に告げたが、その時に同行したいという者が現れた。

それは、報知新聞記者の犬養だった。

犬養は鹿児島へも行った事があり、錬一郎の道案内もできるという。

軍の極秘行動も決して記事にはしないと約束し、錬一郎と犬養は薩軍残党捜索の旅に出る。

(このあたり、劇中では詳しい説明が省略されていましたが、原作文庫本P252~253を参考に補足させていただきました)

 

☆パアスエイド

 

犬養と行動を共にしていた錬一郎は、ある日『パアスエイド』という言葉を教わる。

パアスエイドとは、『相手に説明をし得心させることで、言葉の剣、武人の魂、道理を説き人を導く』という意味で、剣や銃ではなく、パアスエイドで相手を説得する道を勧める。

そして、錬一郎があの灘の酒造屋で三木の実家を探す時に使ったあの方法が、パアスエイドだったことを教える。

犬養は、自分は将来、日本の舵を取る人になりたい、自由な時代を東京で共に作ろう、と錬一郎に同じ慶応義塾大学で学ぼうと誘う。

 

※パアスエイドの歌は、再演で今回追加された新曲だそうですが、2/7のXで歌の指導の清水美也子先生が、日本の音階とスコットランドの音階が同じであることからスコットランド民謡をモチーフに、音楽担当の山田文彦先生が作ってくださったそうです。

犬養が目をキラキラさせて語るパアスエイドは、希望に満ち溢れたとても素敵な曲で犬養にぴったりでした。

 

 

 

☆西郷隆盛との出会い

 

錬一郎は、犬養と地図を観ながら綿密に相談を重ね、見当をつけてある街に到達する。

そこでは、逃げた逃げた西郷が、と民衆が騒いでいた。

西郷がどんな人物であったのか、新聞記者として知りたいと犬養が尋ねると、民衆の一人が「海のように広く、山のようにあたたかいお方(ここ記憶間違いあるかも)」だと教えてくれる。

しかし、西郷をどこで見たかと尋ねても、よそ者にはみな口をつぐんでしまう。

そこへ急な雨。

二人は雨宿りをしていたが、雨が上がりさてどうしたものかと思案していると、先ほどの民衆の一人が、錬一郎が薬問屋の行商人と聞いて、うちの旦那さんが軟膏薬が欲しいと言っていると、錬一郎を呼びに来る。

犬養が錬一郎についていこうとするとおかみに制止され、錬一郎は一人でおかみについていく。

 

ついた邸で案内された部屋には、吉之助と名乗る大男が待っていた。

吉之助は身体に負った傷を治す薬を所望していたので、錬一郎は持っていた山城屋の軟膏を渡す。

それを塗った吉之助は、錬一郎を見て自分の若かりし頃を重ねて懐かしみ、錬一郎に杯を渡す。

そして、自分はあと何度酒を酌み交わすことができるかわからないと言いながら、錬一郎と飲み明かす。

 

※このシーンは、舞台上に置かれた四枚の襖がスクリーンとなり、西郷役の華月奏さんが映像で錬一郎に語り掛けます。

最初は、襖の右端で話を聞いていた錬一郎ですが、吉之助から勧められた杯を受け取るため、襖に近づいたと思うと、錬一郎はスーッと映像の中に入って行きました。

この場面は、後になって錬一郎が「夢か現か」わからない出来事だったと語るような、薄ぼんやりとした行燈の灯の下で幻想的な場面とするための演出かな、と思いました。

配信で観た時には、ただ幻想的と感じただけでしたが、実際に観劇してみると、もはやこれ以上逃げられないと観念したように昔を懐かしむ西郷さんが、その後どんな最期を迎えたかと思うととても悲しく感じられた場面です。

 

 

☆パアスエイドできなかったと嘆く錬一郎

 

酔いつぶれて寝ていた錬一郎は、心配して探しにやってきた犬養の声で目を覚まします。

前夜の出来事が夢か現かわからないと、その様子さえも犬養にパアスエイドできない自分に苛立つ錬一郎。

そんな錬一郎を慰めるように水筒の水を飲ませた犬養は、錬一郎の横に重しを乗せた手紙のようなものを見つける。

そこには「軟膏ありがたく頂戴致し候」と書かれていた。

彼は本当にいたのだと知ると、パアスエイドできなかった自分を「わしはほんまのへぼ侍や」と錬一郎は自分を責めた。

が犬養は「負けても負けても諦めなければ負けじゃない!」と錬一郎を励ます。

 

※「一夜の夢に~」と歌う壱弥さん演ずる犬養と「心のつばさを~」と歌う翼さん演ずる錬一郎は、息の合った華麗な踊りを見せてくれます。

壱弥さんは、翼さんのもう一人の相手役と言ってもいいほど、二人の踊りと歌声は息もあってとてもしっくりきていました。

この二人の歌声はどうしてこんなにも合うのかと考えて、検索していたらこんなサイトが出てきました。⇒こちら

この表からいうと、翼さんが整数次倍音で壱弥さんが非整数次倍音に当てはまるように思いました。

そう考えると、今まで二人の歌声が合うことをうまく言い表せなくてモヤモヤしていた気持ちが、とてもすっきりしました。

壱弥さんは、爽やかでちょっと甘く感情豊かな歌声がとっても素敵でした。

 

ここで、パアスエイドできなかったと嘆く錬一郎は、いったいどんな風にパアスエイドしたかったのかを配信を見た娘と考えました。

逃げていた西郷さんを説得して、何とか生きる道を探って欲しいと訴え、話し合いをする道や投降する道を勧めるという話をパアスエイドしてもよかったのではないか、という結論になりました。

もちろん、誇り高い西郷さんがそれを受け入れた可能性は低いとは思いますが、実際に会ってこの人物を失うのは惜しいと思った錬一郎は、大物の西郷さんを前にして何も話せなかった自分を責めます。

でもそんな錬一郎に、諦めなければ負けじゃないと励ます犬養のやさしさが、とても心に沁みました。

 

 

 

☆昭和12年 大阪天満橋

 

時は移り昭和12年、ドレス姿のお鈴は語り始める。

あの後、旦那さまは犬養と共に上京し、慶應義塾大学で学びました。

学費は、山城屋の軟膏を西郷隆盛も使ったという引き札(広告)を作って配ったところ、軟膏は飛ぶように売れ、それを学費に充てました。

大学を卒業した錬一郎は大阪へ戻り、天満志方書院を設立。

犬養さんは、政治の道を進み、志通り日本の舵を取る人に。

料理人の沢良木は神戸で料亭を開き、三木は北浜で証券取引の会社を設立。

「ばってん、旦那さまはいつまでたってもへぼ侍たい!」と笑いながら語るお鈴。

するとどこからか「お鈴」と呼ぶ声が聞こえた。

お鈴を探す錬一郎に「はい」と返事をし、二人仲良く去っていく。

 

※ここは、一つの時代を生き抜いた主人公と共に、へぼ侍の世界に入り込んで一緒にその世界を体験したような感覚で胸が一杯になりました。

 

 

 

☆昭和20年大阪:終戦 『海ゆかば』

 

松岡が失踪してから68年。

日本は戦争に負け、終戦を迎えた。

正装した松岡は、侍として散ったたくさんの英霊たちの魂を共に連れて去っていく。

 

※このシーンの解釈ですが、私が見た時には、失踪してからどこかの戦で見事に散った松岡が、死んで立派な侍となり、天に召されていったという回想シーンだと思っていました。

が、帰宅してからパンフレットを見ると、松岡の二役とあり、ではあれは終戦の時の英霊の象徴だったのかなと一瞬思いました。

が、やっぱり松岡の最期がわからないままでは、私の中でこの物語が終わらないので、あれはやっぱり松岡だったんだと思うことにしました。

その間に、Xで松岡役の天輝レオさんが初演の時に語られていたあのシーンについての想いをリポストされていて、それが「様々な戦で亡くなった人たちの霊を共に連れていく」というもので、その考え方に私も共感しこの解釈とさせていただきました。

 

 

☆パアスエイド:井上が戦争から帰還

 

錬一郎「生きていれば次がある、次がなければあかんのや」

犬養「パアスエイド、僕が伝える。誰もが生まれてよかったと思える国にしたい。誰もが前を向き、生きてける国に」

錬一郎「へぼ侍は死にはせん」

 

※へぼ侍という言葉を最初は罵りと思っていた錬一郎ですが、戦のあと自らへぼ侍と名乗り妻からもそう呼ばれ続けました。

錬一郎は、その言葉こそが自分を高めていくものだと信じて生きていったようです。

そして、パアスエイドを説いた犬養は亡くなりましたが、その志を受け継いだ井上が記者となり次の世代に伝える役割を担ってくれます。

こうして、時代が変わっても、人の信念や志は受け継がれていく。

今、世界ではまだあちこちで戦が起こっています。

それをパアスエイドで解決する道はないのか?

そう、天国の犬養が私たちに問いかけているように思います。

 


 

ここで終わりにする予定でしたが、後フィナーレと作品全体の感想、役を演じられた劇団員さんへの感想、2/312時公演の後のトークショーのことなを後編で書きたいと思います。