加治屋町散策はまだまだ続きます。
分かりやすいようにもう一回地図を揚げておきます。
幼い時から西郷隆盛に兄事し、大久保利通の後継者として期待されていたにもかかわらず、西郷が薩摩に帰るとその後を追い、西南戦争で西郷とともに自決。
なかなかのイケメンであります。(そこ?)
西郷さんの実家とはホントご近所であります。
ここに生まれた事で人生決まったっちゅうわけやね。
で、ガイドブックにものってないんだけど、この碑のすぐ横にこんな碑が。
大坪岩次郎邸跡・・・ 赤矢印で示したところが、村田新八の碑です。
こんなにくっついてるの。
大坪岩次郎って、誰?
碑が出来るくらいだから、さぞかし立派な邸宅だったんだろう。
え? 村田新八ってそこで居候?(違)
いやいや、大坪岩次郎でググってみやら、どーやら商人のよう。
1859年生まれらしいので村田新八が生まれた1836年当初は、まだそのお宅は出来てなかったよーです。
続いて、吉井友実 誕生の地・・・・
のはずなんだけど
何、この碑? 何も書いてないやん!?
歩道側からはなにも書いてない面しか見えない。
しかたなく車が途切れるのをまって車道側から撮影。
これ、ぜったい設置向き間違えてるって!
ふつう歩道から見えるようにするやろ?
で・・・ 吉井友実って誰?(知らんかったんかい)
西郷さん、大久保さんの幼馴染み。後に明治天皇の側近となり初代 日本鉄道会社社長・・・だそうです。
そろいもそろって、幼馴染みがみんな政府要職についてるわけやね・・・おそるべし加治屋町。
西郷兄弟 誕生の地なのですが、デッカい碑が西郷隆盛の碑で、よ~~くみないと見過ごしそうな左はしのちっこい碑が弟 従道さんの碑です。
なんか、西郷隆盛 生誕の地碑をど~~んと建てたはいいけど、後から「あ! 従道さんも同じ家で生まれてるやん!!」って気がついてあわてて建てた・・・とか?(違)
ツレが地図を見ながら「次は、井上馨 誕生の地」って言うもんで・・・
そうか~、聞多も幼馴染みか~~~・・・・
ん?
な、わけないやん!!
長州やろ?
ツレ「でもここに書いて・・・」
あ・・・
井上良馨です。 一字多い。
・・・・・で、誰?(知らんのかい)
海軍大学初代校長、海軍の要職を歴任。
要は海軍のエライさんであります。
と、調べたところで・・・
ウィキ先生のところにある碑の写真とぜんぜん違うんですが~~。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Monument_of_Yoshika_Inoue.jpg
この写真にある新しい碑はどこへ???
前に書いたように、大久保さんはこちら高麗町で生まれました。
そう、この駐車場で・・・・
鹿児島が誇る維新の英雄であるわりに、殺風景な誕生の地であります。(おぃ)
高島鞆之助?・・・ 誰?
お、碑に書いてあるやん。
陸軍大臣、枢密顧問官などなど、政府の要職を歴任した人らしい・・・
でも名前読めへんし。(ダメ)
「とものすけ」と読みます。ウィキ先生、いつもありがとう!
こうして散歩するだけで、歴史に詳しくなれるっちゅうわけです。
西郷さん29歳の時に下加治屋町からこちらの上之園町へ移ってきました。
屋敷を売って借金の返済にあてたのだとか・・・
ここに住んでいた頃が西郷さんいちばんの波瀾万丈時代で、藩主 島津斉彬に認められ江戸に登り,斉彬急死の後、入水自殺をはかり、奄美大島に流され、久光によって鹿児島へ呼び戻されたものの、またしても島流し・・・ 上げたらきりがない。
今は公園になってます。
こうしてあちこち回っても、立派な建物が残っているわけでもなく面白い景色が見れるわけでもない。
何が面白いのっていわれそーですが、実際に歩いてみるのが歴史探訪の醍醐味。
歩いてまわれば、西郷さんの家と大久保さんの家がこんなに近いんだって実感できるわけです。
村田新八はこの道を通って西郷さんの家を訪ねたんだろうって想像できるわけです。
歩いてまわれる範囲でこれだけ多くの英雄が生まれてる奇跡も実感できます。
これは高知城下を歩いた時にも感じたんだけど、自分の同級生や幼馴染みの多くが政府の要職に着いてるって・・ そんなのありえへんって。
いやいや・・・・・
おそるべし加治屋町。
そんなわけで、1日目は加治屋町をまわっただけで終ってしまった。(お)
2日目もさらにマニアックな旅は続く・・・・・