Sumiko's Playground 開設10周年
となります。
まさか10年もこんなアホなこと続ける
なんて思ってもいなかったよ。
で・・・ この機会に、ちょっと昔話でもしてみようかと・・・ まずは、いかにしてこのSumiko's Playgroundが出来たかお話ししましょう。題して・・・・
以前にも書いたんで知ってる方はパスしてね。
ご存知の通り、わたしはDUNK SHOOTのAIR HODAN という高見沢さんのコラムからロン毛のたかみーにハマった変わり種アル中ですが、実は、HPを作るきっかけは、なんとそのアルフィーのCDだったのです。
1997年初冬、その頃のわたしは、まだ子どもも小さかったので仕事もしてなくて、極々平凡な専業主婦でした。 しかしながら、もともと家事一般が苦手でお世辞にも家庭的でなかったわたしは、毎日同じことの繰り返しの退屈な生活にいまだかつてないほどの鬱状態でした。
そんな時、AIR HODANでアルフィーのCDが出る事を知り(DUNK SHOOTでCDのリリース情報を得ていたファンはおそらくわたしだけでしょう)ふと思い立って、10数年ぶりにアルフィーのCDを買ってみました。 ま、これがアル中への道第一歩だったわけですが・・・
そのCDというのは、もともとメッセージ性の高い彼らの曲の中でも選りすぐりのメッセージソングを集めたアルバムEMOTIONAL MESSAGE SONGSでした。 えもーしょなるですよ、えもーしょなる!! とはいえ、もともと”えもーしょん”とは程遠い人間であまり音楽に興味のない私が、歌を聴いて心を動かされるなんてことはあり得ない・・・ はずでした。
あの時ばかりは、何故か高見沢さんの「夢をあきらめるな。」というメッセージが、グサッグサッと心にささるのでした。 未だかつてないほど落ち込んでいたわたしの精神状態がそうさせたのでしょうか。 アルフィーが自分と同世代だってことで説得力があったのかもしれません。 「○○さんの奥さん」「○○ちゃんのお母さん」として毎日過ごしている間に、どこかに自分自身を置き忘れて来たことに気づかされ、そして「もう一度だけ追いかけてみないか・・・」なんて言葉に思わず反応してしまったのでした。 そう、年甲斐もなく ふっと「もう一度 夢を追いかけてみよう。」なんて気になっちゃったんですねー。 凄いゾ、アルフィー。(そうなのか?)
わたしの夢? それはイラストレーターになることでした。 とにかくもう一度イラストを描いてみようとそれこそ約20年ぶりにGペンを手にしたのでした。
似顔絵が得意なわたしは、まず手始めに大好きなNBA選手を描いてみました。 描いたらやはり誰かに見てもらいたいわけですが、当時はインターネットなんてやってなかったし、HPを作るなんて思いもしませんでした。
そんな時、Sports-i ESPN が「NBA オールスター 視聴者リポーター募集」なんて企画をやってくれたのです。 それを見たとき「これだ~~!!」って思いましたね。(笑)
そんな妙な動機からリポーターに応募しました。 とはいうものの普通はそう簡単にリポーターに選ばれるわけないですよね。 たくさんの応募がある中、選ばれるのはたった4人なんだから。
ところがどっこい、運良く選ばれてしまうところが、人生 運のみで渡って来たと言われるすみこさんの凄いとこですかね。(殴)
あきらめない夢は終わらないってやつですか?(違・・・)
とにかく、オールスターでボードを揚げる機会を実力で勝ち取ったわけです。
・・・いや、ちょっと裏技使いました。 応募の条件は「NBAとわたし」という作文を書く事だったんですが、作文だけじゃ目立たないと思ってイラストつけました。(おぃ)
さて、その年のオールスター開催地はNY。 それまでNBA生観戦なんてしたことないのに、いきなりあこがれのMSGでオールスターだなんて・・・ しかもただ! レジーに会えると思ったら、もうそれまでの鬱なんてあっというまに飛んでいってしまいましたよ。
渡米まであまり日がないというのに、寝る間も惜しんで似顔絵ボードつくりました。
NYへ持って行ったボードの一部です。
(なんと、レジーさんに"鼻”がある!!)
当時は時間もなかったし、まだまだ勘も戻ってなかったのでホントお恥ずかしい出来なのですが、こんなボードでもNYですごくウケたのでした。 しかも、英語がほとんど話せなくてもイラスト持ってるだけで、みんなとってもフレンドリ-に接してくれるのです。 もちろんレジーのボードには、MSG名物の大ブーイングで歓迎してくれました。 似顔絵は国境を越える!!って思いましたね。
そんな素敵な経験から、帰国後、なんらかのかたちでイラストを公開していろんな人と交流してみたいと思ったわけです。 そこでPCに詳しい連れ合いの力を借りて、なんとかHP開設まで漕ぎ着けたのが1998年9月なのです。
もし、高見沢さんのコラムに気づくことがなかったら、アルフィーに出会うこともなかっただろうし、もう一度ペンを取ることもなかったことでしょう。 当然NYへ行くこともなかっただろうし、HPなんて開設する事もなかったでしょう。 今でも鬱々と平凡な主婦やってたかも・・・
そう思うと、あんなちっちゃなコラムがわたしの人生を大きく変えたような気がします。
王子 ありがとう!!