またまたまたまた続きです。



震災後から数日、友人や知り合い、取引先の方の安否が判ってきました。


それから毎日避難所へ手伝いに行きました。


行ったといってもたいしたことはできずに、支援物資を仕分けや掃除など、


ボランティアさんが来てくれるまでと思いお手伝いさせて頂きました。


こんなことしかできないのですが、家、家族が無事でしたので、出来ることだけでもと思いました。





数日後子供と一緒に畑を見に行きました。


跡形も無くなってしまった畑に子供は呆然としていましたが、


この現実と、みんなが一つになって復興する光景を見せておきたいと思ったからです。


子供は無くなってしまった畑を見て一言言いました。


「パパなんにも無くなってしまったね」


涙が出てきました。


あるべきものが無くなった時、人って涙しか出ないこと...初めてわかりました。



たまに釣り ときどき草野球


この風景を見せるべきか..悩みました。


帰りの車で「パパ 連れてきてくれてありがとう!」


と言ってくれました。



失ったものは大きい。もう元には戻れない。


「元に戻すのでは無く、新たに創って行こうね!」


と言いました。




仕事も少しずつ前へ。


生活も少しずつ前へ。



被災された皆さんは頑張っています!


CMで「頑張ろう宮城! 頑張ろう日本!」と言ってますが、


自分はそう言う風に言うことをやめます。


だって頑張ってるんだもん。




ということで...震災の記録はこれで終了します。


原発事故や今後の余震。


不安なことが多いのですが、「なんとかなるっちゃ!」で頑張ろうっと^^



またまたまた続きです。


2011年3月12日(土) 01:00分ころ

真っ暗な夜、サイレン、地鳴りと余震。


子供は幸いにしてほとんど起きませんでした。


カーナビのTVでは相変わらず被害状況と余震のテロップ。



この世の終わりかとも思ってしまう惨状に頭が対応出来ません。



軽く寝たと思うが、目が覚めたのは朝の5時頃でした。



明るくなると妻は携帯とラジオを片手に家の片付けを始めました。


強い余震に気をつけながら....。



05:30分ころ


津波の水がかなり引いたのでばあちゃん家に行くことにしました。


おふくろと妹は避難所へばあちゃん探しへ。


親父と自分はデコボコになった道を迂回しながら向かいました。


途中おふくろと会いましたが、2件の避難所にはばあちゃんらしき人は居なかったと。



まだ津波警報が出ていて、地域の消防団の方が交通制限をしていました。


「これから先は行けません!!」

「警報が解除になってからの通行になります」



交通制限のしていない道路を探しながら、ばあちゃん探しに行きました。



瓦礫を避け、冠水した道路を通りながらなんとか辿りつきました。


家は床下浸水でした。


ばあちゃんは隣の家の納屋に避難していました。


避難の連絡は地域であったようですが、直ぐに津波がきたので、


濡れながら少し高い納屋に夕方移動したそうです。



叔父も一緒でしたが、避難ができずにそのまま居たそうです。


濡れた靴下は朝取り替えたようですが、80歳を超えた体にはキツ過ぎます。


隣の家のおばさんとばあちゃんを連れて家に戻ることにしました。


叔父は家で片付けをしているとのこと。



車の中で昨晩のことを話していました。


濁流があっというまに来たこと...。


濡れて寒かったこと...。


余震で眠れなかったこと...。


ストーブで暖をとりながら朝をむかえたこと...。


こんな経験は生まれて80年。初めてだと。



家に着くと妻が片付けをしていました。


同じ敷地内の実家は柱が傾き、この余震の中の作業は危険です。


おふくろと親父は外のガラスの片付け。


妻と自分は自宅の中の掃除を進めました。


今晩はここに皆泊まることになる。


せめて寝れるように...と。



1階の片付けが終わると車の中で待っていた子供とばあちゃん、隣のおばちゃんを家に入れました。


電気、水道、ガス、電話。みんなダメですが、ストーブがあったので暖をとりました。




お昼には家にあったパンなどを食べました。


実家が農家だったので米だけは沢山あったので、ストーブでご飯を炊きました。


塩と海苔だけのおにぎりでしたが、幸せでした。



情報はカーナビのTVとラジオだけ。


ガソリンがもったいないので、時間を調整しながらTVをみました。



「これからどうする?」



「まずは片付け」


安否を伝えるため、災害伝言ダイヤルには登録をしておきました。



何から手を着ければ良いのか...。


この部屋だって最初は入ることが出来ないくらい散らかってました。




ここから数分の場所には沢山の犠牲者が居る。


そう思うと何かしなければ!と思ってしまいます。



ある程度の片付けをしなければ、また夜がやってくる。


明るいうちに出来るだけの掃除をすることにしました。




学校は避難所になっていました。


500名以上はいました。




仲良くしていた船頭さんたちは大丈夫だろうか...。


みんな元気だろうか...。


そんなことを考えると涙が出てきました。



もっと大変な人達が沢山いるはず。



遠くの空には黒煙が上がっています。



今年は釣りができるだろうか?



地震、津波、原発の事故。


自分にはどうすることも出来ません。



辺りがゆっくりと暗くなってきました。


みたことも無いくらい大きな月が出ていました。




なにもかもが、昨日で変わってしまった。




またまた続きです。


2011年3月11日(金) 18:00分ころ



久しぶりに綺麗な星空を見ました。


真っ暗闇の中でみる夜空の星は直ぐにでも手が届きそう。


自然の偉大な力の中で人間の無力さを知りました。



家の中にあった食べられるものと飲み物を妻が車に持ってきました。


余震がある中、危険といえば危険ですが、気が付くと朝から何も食べてなかったことに気付く。


カーナビのTVを見ながら、ことの重大さと、福島第二原発問題を取り上げています。


この段階では第二原発だったんですね。



後ろの座席をフラットにし、毛布を家から持ち出し、簡易的にでも寝れるスペースを作りました。


自分「外に行ってくる」


と言って懐中電灯を持ちながら外にでてみると、学校には小さな明かりが付いています。


各自が持ってきた懐中電灯の明かりだと思いました。



数百メーター海岸方面に歩いてみると、田んぼの方に水が来ているのが見えます。


ジワジワと....。


もう少しで家まで来るんだろうか...。


側溝の水は逆流しています。



「ばあちゃん(祖母)..。」大丈夫かな?


この津波では車で行けそうにありません。


絶対非難している!!と思い込むことにしました。



車に戻りしばらくの間、垂れ流しの震災状況のTVをボーっと見ました。


「仙台の若林区の沿岸部の道路で200名前後の遺体を....」と放送されていました。



ここから車で数分の距離に...。


声は出ませんでした。


妻と自分はその報道にコメントすることが出来ません。



震災から6時間以上経ちましたが、コレが夢であって欲しい...と隣の妻も思っていたはずです。


サイレンの音だけが、真っ暗闇の中に響いていました。




少しの間寝てしまいました。


余震がきても反応しなくなり、電車に乗っているかのように揺れています。



時計を見ると



21:00分すこし前


津波がどこまで来ているか不安になってきました。


懐中電灯を持ちながら、外にでました。


妻に心配されましたが、「直ぐに戻る」と言いました。


子供は寝ています。



津波はジワジワと直ぐ後ろの道路まで来ていました。


家の入り口までは約20mです。


家は土台が高く床下浸水するまではそれなりの時間がかかると分かりましたが、


この水はどこまで来るのか...と思うと心配です。


うっかり寝てしまい、気が付いたら津波に車ごと流されているかも知れません。



まもなく携帯が鳴りました。友人(市議会議員)が心配して電話をくれました。


携帯の充電が無くなりそうなことを言うと直ぐに持ってきてくれました(感謝感謝)


大変な状況だと報告を受け、一刻も早い救出活動をお願いしました。



21:30分頃


側溝の水の逆流が止まっていました。


早くこの水が引いてくれることだけ祈っていました。



22:00分頃

側溝の水はいつもの流れのように海の方へ流れ始めていました。


少し安心しました。


そのとき...ばあちゃんの安否が気になりはじめ、水が引いたら車で行ってみることを決意しました。



隣の車で休んでいる親父に「もっと水がひいたらばあちゃん家に行ってみよう」と告げ車に戻りました。


親父は黙っていました。



妻「何か考えている?」

自分「もう少したったら、ばあちゃん家に行ってみようと思う」

妻「明るくなったにしたら...危険だよ。行ってダメ!」


TVでは各地の大津波の模様が映し出されています。


正直、朝になることがとても嫌でした。


どんな状況になっているのか...。



23:30分頃

側溝の水位は低くなりました。


一人では危険なので親父を起こして行くことにしました。


妻「気を付けて」


別な車に乗り二人で真っ暗でデコボコになった道路をゆっくりと走り出しました。


この宮城は地震が多く、震度5以上で道路がデコボコになるのもそんなに珍しいことでもありませんでした。


ただ補修が早く、1週間も経つと普通に走れるようになっていて、その速さに驚かされました。



いつもの道は冠水していて通れません。


何度も迂回をしながら進みます。


車で5分の距離ですが、迂回をしながらで近くまできました。


田んぼは湖のようになり、道路は全て冠水。


道路は川のように水が流れています。



ばあちゃん家まで約500mのところまできましたが、道路は水深があり通れません。


もちろん車は1台も無く、津波で流されてきた瓦礫だけが壁のように道路を塞いでいました。


自分「これ以上無理だな... 歩いて行くのも危険」

親父「夜なので無理はしないほうが良い。明るくなったら直ぐ来よう」


迂回してきた道をそのまま戻りました。


妻はウトウトしていました。


妻「お帰り」

自分「行けなかった」


妻「星が綺麗だね」と言いました。

自分「こんなに綺麗な星空はみたことが無いね」

自分「明るくなったらまた行ってみる」


ガソリンタンクは約半分。



夜が明けることがどれだけ嫌だった夜か...。


これからどんなことになるのか...。


まだ誰も知りませんでした。



続く。












































.
















続きです。


2011年3月11日(金) 15:45分ころ



学校についた頃には雲行きが怪しくなってきた。


寒いってことに気付いて、コートは持ってきたものの...来てなかった。


学校の引渡しは相変わらず続いていて、さっき来たときよりも子供の数が少なくなっていた。


余震が続いていて校舎も体育館も危なそうでしたが、なんとか入れそう。


子供たちの安全の為に校庭の中央部で約200名前後の子供たちが集まり、


周りに先生方が子供たちを囲みながら保護者を待っていました。


数人の知っているお母さん方に声を掛けながら、校庭中央へ。


保護者を待っている子供たちが、数十分まえより少し落ち着いた様子。



校長先生、教頭先生がハンドマイクを持ちながら「保護者の方はこちらです!」と案内。


学校近くの交差点は保護者の車と救急車やパトカー、そして非難しようとしている車で渋滞。


渋滞っていうか...ほとんど動いてませんでした。



子供の安否を確認すると、知り合いのお母さんが寄ってきました。


「津波が....○○○(地域名)まで来ているって...」


もしここまで来たらって考えると...。



校長先生に「津波が○○○まで来ているので校舎に非難させた方が良いと思います」と。


教頭先生と直ぐに相談し、落ち着いた口調で「校舎に入ります! 担任の先生の後に続いて校舎に入ってください!」とみんなにアナウンス。


自分は昇降口で混雑しないように子供たちの誘導。


子供たちが全員入ったことを確認してから校門に立ち、地域の非難されてきた方々の誘導をしました。


ラジオを片手に...さっき引渡しを終えた保護者と子供も再び学校へ避難。


津波が来ていることを知った地域の方々が続々と避難してきました。



16:00分ころ


誘導をしていると両親のことを思い出し、家に戻りました。


「津波来てるって...」と言われましたが、「ここまで来るかもしれないので、学校へ避難して!」


と伝え再び学校へ。両親と妹、子供も一緒に学校に非難。



学校付近に来ると、ヘリコプターが飛んできました。


今まで見たことも無いくらいの低空飛行。


「津波が来ています!至急非難してください!!津波が来ています!至急非難してください!」


その光景...一生忘れない...。




そういえば...祖母は大丈夫かな...?


叔父もいるので、あれから大津波警報がでているので、遠くへ避難しているだろうな...。


こんな時..携帯電話の電源があと少しに。祖母への電話もつながりません。


そんな時に妻から電話。


妻「□□□まで来たんだけど渋滞で動かない...」

妻「しばらくかかると思う...。早く帰りたい...涙。」


自分「落ち着いて聞いてね。津波の警報が出てるよね。」

自分「こっちに来るためには、渋滞で危険なので、仙台駅方向(海から逆方向)へ行って」

自分「こっちも道路が渋滞しているので家まで着くまでかなりの時間がかかると思う」


妻「いやだ...涙 みんなの所に行きたい.... ここよりもみんなの方が危険でしょ!」


自分「こっちはみんな無事。学校へ避難してるから大丈夫」

自分「とりあえずは街中の方に向かって!状況をみてからまた電話する!」


街中方面への車は動いているとのことなのでとりあえず危険な方向に来ないように話をしたつもり


なんだけど...パニックになってる...。少し落ち着かせてから電話を切りました。


ほとんど電源がありませんでした。



こんな時に...。


雪が降ってきました。


真っ白で、冷たく、急にどんよりとしてきた空。


神様...なんでここまで...。



非難してきた方は足が不自由な方もいました。肩を貸しながら校舎の上の階へ誘導。


ラジオを片手に非難されてきた人は、「15m以上の津波が押し寄せてるらしい...ここもヤバイかな...」



津波が気になり、校舎の屋上へ...。


津波がきているのが見えます。


ゆっくりと。すこしずつ。


今まで見たことも無い光景。


早歩きする速さで、田んぼが湖になってく...。



校舎には沢山の人たちが非難してました。



取引先のお客さんは海沿いに多かったので気になりはじめました。


でも電話も出来ない。



16:15分ころ


雪が晴れてきました。


電気の無い風景..。信号。


救急車とパトカー、消防車のサイレン。


どんな被害になっているのか...。


余震も続いています。




明日の予定は何だっけ...。


全部キャンセルか...。


片付けどうしよう...。



暗くなりかけていた空。雲の切れ間から明かりが挿してきました。


もう少しで夜。


懐中電灯....。


16:30分ころ


そんなことを考えていると妻から電話。


妻「今近くまで来たけど車を置いて歩いてる...ごめんね。どうしても帰りたかったんで...」


自分「わかった。今どこ?」


場所を聞いて、家までもどり、自転車で迎えに行きました。


その頃は日も傾きかけてきた。



数ヶ月まえに買ったばかりの車なんで...置きっ放しで津波に巻き込まれたら大変なことだ...」



この段階ではこの付近まで津波が勢いよく到達しないことが分かっていたので、


落ち着いていました。



自転車をこぎながら、しかし...寒い。


間もなく妻と会いました。


妻「涙..ごめんね。言うこと聞かなくて」


自分「いいよ。車はどの辺においてきたの?」


指差した方向に自転車を二人乗りして向かい。


車を発見!自転車を積み込んで。


自宅へ帰ることに。



車のヘッドライトを付けないと危ない暗さになっていました。


車で久しぶりのタバコを吸いました。



17:15分ころ


家に着くと、急ぎ足で学校へ向かい子供と会いました。


子供はすっかりと元気になっていました。


両親と妹も家に戻っていたので我々家族もとりあえず家に帰りました。


途中、数人の知り合いと会いながら。



17:30分ころ



余震が続き、家に入ることは危険なので、今晩は車で寝ようということに。


家の家族は3人、両親と妹は別の車で。



お昼にコンビニで買った弁当があったことを思い出しました。


子供ははじめ「食べたくない...みんなの分がないから...」


と言っていましたが数分後には「腹減った」と半分弁当を食べました。



気がついた時には空は真っ暗でした。


祖母は大丈夫か....。



津波はジワジワと押し寄せてきているのが見えました。


祖母の家に行くことは無理だと直ぐに分かりました。



子供が言いました。


「眠くなってきた」



少しホットしました。


妻と自分はカーナビでワンセグTVを見ながら不安な夜を過ごすことになります。





真っ暗になった町並みは時が止まったか、戻ったかしたように静まりかえり、


サイレンだけが鳴り響いています。







見上げると星が...。


星がこんなに綺麗に見えたのは生まれて初めて。



仲間はみんな元気かな...。



続く。






まずはじめに...。

この記事は皆さんに見てもらう目的では無く、その1日を忘れてはならない為にこのブログに書き残しておきます。



2011年3月11日(金)


いつも変わりない朝で、変わりなく妻はパートに出勤して行きました。

小6の子供も変わりなく「行ってきます!」と玄関を出て行きました。


自分は自営業。

ブラックのコーヒーを飲みながらPCのメールをチェックし、

子供の小学校の同窓会入会式に出席するために家を出ました。


「もうすぐ卒業式ですね..やり残した事...学校の為に尽くしてください」

いよいよ卒業式だね...不安と期待を背負った子供達。

卒業式前のリハーサルの意味合いもあるので少し緊張気味でした。


同窓会入会式を終え、一度帰宅。

仕事の段取りをしてから...。


同級生が市議会議員なのでその事務所へ...。


スタッフと2人で選挙カーの手配と買い物の為に外出。


選挙カーの手配が終わり、買い物へ。

このころは13:30頃かな。


帰りにコンビに寄り、事務所へ到着。


事務所に行くと来訪頂いた方の記録をチェックし、

PCのメールを確認。2,3件用事をこなし応接室へ。


応接室でスタッフと立ち話しをしていた時....


14:46分


地鳴り?と感じてる間も無く、縦横の激しい揺れ。


事務所内のスタッフ全員が慌てはじめます。


携帯の緊急地震速報が鳴ったのも分からず、


激しい揺れでそのまま立っていられず、壁に背中を当てて揺れが収まるのを待とうと思った。


火の始末をしながら、停電に。


かなり激しい揺れは長く、揺れに慣れてくると「これが宮城県沖地震?」なんて会話。


その後収まりかけ、立とうと思った瞬間に、最大の揺れ。


キャー!という悲鳴というより、地鳴り(轟音)が凄く、外を見ると電信柱が大揺れ。


立揺れ?横揺れ?と考えても..今まで感じたことが無い揺れ。


宮城県沖地震を体験した自分でもこんなに強かった記憶はありません...。


地震体験車の「グララ」だっけ?去年体験したんですが、こんな揺れ方だっけ?


と考えながら...でもまだ揺れてます...涙。



女性のスタッフは泣きだし「大丈夫!」と励ましました。


あるスタッフは...会社に戻らなきゃ...。と


あるスタッフは携帯のワンセグTVを付けました。


耳に飛び込んできたのは「大津波警報...宮城は6m」「至急高台へ非難してください!」


なに??6mってどんな津波?


自宅は海岸で海から3kmはあるので津波は大丈夫だろう...。


でも妻、子供は大丈夫かな....。大丈夫であって欲しい....。



3分位揺れたでしょうか...。


揺れが少しずつ小さくなってきたので、事務所内の身の回りを片付けながら電源コンセントを全て抜き、


火の始末も確認。


とりあえず解散しましょう!ということでスタッフ5名は解散しました。


14:55分ころ


スタッフを送りながら自宅へ。


妻も気になるけど、子供も気になる。


携帯に電話しようと思ったけどやっぱりこんなときは全然つながりません><


あきらめながら車を運転。


余震が続く中、スタッフの自宅へ。


こんなときはラジオ!と思い出しすぐラジオ。


「宮城県沿岸部の津波警報は10m以上です!至急高台へ非難してください」


まじぃ.............!!!!!!


瓦やブロックを避けながらの運転。


国道4号線は停電のため、信号も消えています。


これはかなりヤバイな...。


15:10分ころ


スタッフの自宅に着く。


海岸より2k位の場所。


家族の方がいたので挨拶をしながら別れました。


15:20分ころ


その近くに祖母宅があり、祖母が心配でした。


祖母は叔父とともに目の前にある畑のハウスの中に居ました。


安心した...。


安否を確認した後自宅へ。


今思えば...それから家に付くまでの間、周りの風景なんか全然見てなかった。


子供は学校だったっけ?そうならば学校は大丈夫かな...。


妻への携帯は全然つながりません。


とりあえず家に戻る。


15:30分ころ


家は敷地内に2件建っている。


自宅は妻と子供と自分。


隣は父と母と妹が住んでいます。


父、母、妹と会って怪我が無いか確認。


その直後妻との携帯がつながる。


「今から帰ろうと思うけど、道路が込んでる」

「歩いて帰ろうかな...」と


「帰れそうだったら気をつけて帰ってきてね」


妻の働き先は宮城野区で仙台港から1k前後。


「くれぐれも気を付けて」

と話すと電話は切れてしまいました。




自宅に入ってみると....。


ヤバッ...。


チラッと見渡し、足の踏みどころも無い中からコートを取り出す。


「○○は?」と子供が帰ってきたかどうか母に聞くと、未だだということ。


小走りで学校へ。


15:35分ころ


学校への途中で保護者が子供達を連れて下校しています。


まだ学校だったんだ...。


校庭に子供達が避難していて先生方が保護者に引渡しをしています。


とりあえず子供の所へ...。


子供は自分の顔を見るなり号泣...もう直ぐ卒業なのに...(笑)


何人かの子供たちも寄ってきて「凄かったよぉ...」なんて。


ホットしたのもつかの間で子供を連れて自宅へ。


すぐに自分だけ学校へ戻る。



途中、妻と電話がつながる。


「会社から出たんだけど...途中の川が氾濫しそうなくらい濁流だった」

「橋を超えたら、渋滞はたいしたことがなくなってきた」


そんな時に....


そういえば津波警報出てたんだ...って思い出しました。


でもどこまで津波が来るやら検討もつかない。



とりあえず学校へ着く。



15:45分ころ



未曾有の大災害はこれからだったということには未だ気付かなかった。


続く。