またまたまた続きです。
2011年3月12日(土) 01:00分ころ
真っ暗な夜、サイレン、地鳴りと余震。
子供は幸いにしてほとんど起きませんでした。
カーナビのTVでは相変わらず被害状況と余震のテロップ。
この世の終わりかとも思ってしまう惨状に頭が対応出来ません。
軽く寝たと思うが、目が覚めたのは朝の5時頃でした。
明るくなると妻は携帯とラジオを片手に家の片付けを始めました。
強い余震に気をつけながら....。
05:30分ころ
津波の水がかなり引いたのでばあちゃん家に行くことにしました。
おふくろと妹は避難所へばあちゃん探しへ。
親父と自分はデコボコになった道を迂回しながら向かいました。
途中おふくろと会いましたが、2件の避難所にはばあちゃんらしき人は居なかったと。
まだ津波警報が出ていて、地域の消防団の方が交通制限をしていました。
「これから先は行けません!!」
「警報が解除になってからの通行になります」
交通制限のしていない道路を探しながら、ばあちゃん探しに行きました。
瓦礫を避け、冠水した道路を通りながらなんとか辿りつきました。
家は床下浸水でした。
ばあちゃんは隣の家の納屋に避難していました。
避難の連絡は地域であったようですが、直ぐに津波がきたので、
濡れながら少し高い納屋に夕方移動したそうです。
叔父も一緒でしたが、避難ができずにそのまま居たそうです。
濡れた靴下は朝取り替えたようですが、80歳を超えた体にはキツ過ぎます。
隣の家のおばさんとばあちゃんを連れて家に戻ることにしました。
叔父は家で片付けをしているとのこと。
車の中で昨晩のことを話していました。
濁流があっというまに来たこと...。
濡れて寒かったこと...。
余震で眠れなかったこと...。
ストーブで暖をとりながら朝をむかえたこと...。
こんな経験は生まれて80年。初めてだと。
家に着くと妻が片付けをしていました。
同じ敷地内の実家は柱が傾き、この余震の中の作業は危険です。
おふくろと親父は外のガラスの片付け。
妻と自分は自宅の中の掃除を進めました。
今晩はここに皆泊まることになる。
せめて寝れるように...と。
1階の片付けが終わると車の中で待っていた子供とばあちゃん、隣のおばちゃんを家に入れました。
電気、水道、ガス、電話。みんなダメですが、ストーブがあったので暖をとりました。
お昼には家にあったパンなどを食べました。
実家が農家だったので米だけは沢山あったので、ストーブでご飯を炊きました。
塩と海苔だけのおにぎりでしたが、幸せでした。
情報はカーナビのTVとラジオだけ。
ガソリンがもったいないので、時間を調整しながらTVをみました。
「これからどうする?」
「まずは片付け」
安否を伝えるため、災害伝言ダイヤルには登録をしておきました。
何から手を着ければ良いのか...。
この部屋だって最初は入ることが出来ないくらい散らかってました。
ここから数分の場所には沢山の犠牲者が居る。
そう思うと何かしなければ!と思ってしまいます。
ある程度の片付けをしなければ、また夜がやってくる。
明るいうちに出来るだけの掃除をすることにしました。
学校は避難所になっていました。
500名以上はいました。
仲良くしていた船頭さんたちは大丈夫だろうか...。
みんな元気だろうか...。
そんなことを考えると涙が出てきました。
もっと大変な人達が沢山いるはず。
遠くの空には黒煙が上がっています。
今年は釣りができるだろうか?
地震、津波、原発の事故。
自分にはどうすることも出来ません。
辺りがゆっくりと暗くなってきました。
みたことも無いくらい大きな月が出ていました。
なにもかもが、昨日で変わってしまった。