千春はポプラの木の下で空を見上げた。白色を帯びた陽光が降り注いでくる。光のシャワーをくぐり抜け、千春はポプラを見上げて歩き出す。
「おはようございます!」
「おはよう!」千春は元気一杯の少女に答える。
サンシャインハウスに住んでいる園田永樹の娘の緑は、あどけなさが残るショートカットがよく似合う高校生である。2階の窓から顔を覗かせ、眩しい笑顔を千春に向けた。
4号室の窓が開くと、髪をくしゃくしゃにした黒田保が顔を出した。今目覚めたばかりのようだ。いつもなら銀縁のメガネをかけている。
「おはよう!保さん随分眠そうね」
「おはようございます」保は無造作に目をこすった。
「少し顔色が悪いみたいだけど・・・。もしかして、また女の子にふられた?」千春は保をからかうように言った。
「千春さんたら、からかったりして・・・」緑はクククと笑った。
「慣れているさ・・・」保は情けない顔をするとははは・・・と笑った。
千春は足元で何か動く気配を感じた。見ると番犬のバンチャンが座っている。
「おはようございます」
千春が目を上げる。そこには3号室に住んでいる東愛子がいた。美人で清楚な女性である。
「あら、愛子さんおはよう」
愛子は二階にいる二人に手を振ってから、身をかがめてバンチャンの頭をなでる。
バンチャンは頭をなでられて嬉しそうに尻尾を振り、長い舌を出して彼女を見上げている。
主人に似て女に弱い奴・・・。
― 誰が女に弱いって? ―
うん?千春はキョロキョロと辺りを見回す。何か聞こえたような・・・。
風が吹いて千春の頬を風が撫でる。
気のせい????・・・。
「千春さん今日はお仕事・・・お休みですか?」
「ええ・・・」千春はバンチャンの頭を撫でる。
「さっき駐車場でお会いしたんですけど・・・。友美さんは相場さんとお出かけですか?」
「ええ、二人でガラス工芸展に出かけるって言ってたわ」
「友美さんが、相場さんとデート・・・」緑は小さく呟いた。
「緑ちゃん、お父さんは?」
「まだ寝ているの。こんなときのんきに・・」緑はちょっと怒ったように言って溜息を吐く。
「後でコーヒーを飲みに伺いますって言っておいて・・・」千春は溜息を吐いた緑に向かって言った。
「私も行ってもいいかしら・・・」愛子はバンチャンの頭を撫でながら二階を見上げる。
緑は気を取り直したように、千春と愛子に向かってにっこりした。
「お父さんのことだから、大サービスしてしまうかも、美人は何人でも大歓迎すると思うわ」
「ワン!」
「まあ、あんたも行く気?」千春は笑った。バンチャンは自分が人間だと思っている節がある。
「バンチャン、それは僕が言うセリフだぞ」保はバンチャンに向かって吠えた。
「保さんたら・・・」緑はブッと吹き出す。
千春と愛子は顔を見合わせて吹き出した。
「姉さん出かけてくるわね・・・」
千秋はスラックスと花柄のブラウス姿で居間に顔を出す。
「分かった・・・。気をつけて行ってらっしゃい」
三姉妹の末っ子である千秋は、秘密主義でほとんど自分のことは話さない。時々何を考えているのか理解できないことがある。まあ、しっかり者でもあるし、二人の義姉とは違ってかわいい顔をしているので、男の人にもてるだろう。少しばかり掴みどころのない性格は問題であるが・・・。
千夏は思うのである。少しばかり心配させてよね・・。姉の立場がないじゃないの・・・と。
千秋は外に出て空を見上げる。ポプラがさわさわとやさしく風に揺れた。千秋には空が水で薄めたように少しぼやけて見える。
「千秋、行ってらっしゃい!」
千秋は千春の声に振り向く。千春と愛子は並んで千秋に向かって手を振っている。それに応えて千秋は小さく手を振った。
「千秋さんもデートなのかな・・・」緑は羨ましそうに千秋を見た。
千春は空を見上げて思う。私たち姉妹はなぜ、誰一人未だに結婚できないのだろうかと・・・。
ねえ、兄さんはどう思う?そう問いかけても答えは得られない。再び風が吹いてポプラがさやさやとそよいだ。