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神に感謝:神の恵みが主を通して

マタイの福音書8章の話。

このお話は一人の重い皮膚病患者を御心で治療したと言うお話。

当時、重い皮膚病患者は隔離されていた。このいきさつは旧約聖書レビ記13章に書かれている。
汚らわしいものとされていたので町に出るのは本当に勇気がいる行為だったのだろう。

しかし、この患者はイエス様の元にやってきて、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」とひれ伏した。持っていたのは信仰心1つ。
で、イエス様は「そうしてあげよう、きよくなれ」、で一瞬に治してみせた。

そして、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供えものをささげて、人々に証明しなさい」と言われた。

これはイエス自身の力ではなく、神の恵みが主を通して与えられたものだからだ。だから、誰にも話すなということ。

そして、モーセが命じた供え物とは、旧約聖書レビ記14章を参照されたし。

ちなみにモーセの十戒は旧約聖書出エジプト記20章に記載されています。

神に感謝。

2011年総括。現場とVIPと時々カトリック

暮れも押し迫りました。今年、2011年は激動だったのかといえば激動だったのかもしれない。ただ、仕事ばかりしてたのでブログにかけるネタがないっちゃネタがない。職務内容を公開できないのもそのせいかあせる


1月。新年早々かぜっぴきから始まったカゼ10数年ぶりに39℃以上の熱を出したのでインフルエンザじゃないかと疑われたが、実際はそうではなかった。今から思うともしかしたら潜伏していただけかもしれないえっ


2月。特に目新しいことはなく現場を行き来する毎日。昨年のクーデターの後始末に奔走していた気がする走る人


3月。未曾有の大地震。その時僕は電車の中にいた。すべての電車が止まり帰るのに苦労したと思ったら、マンションのエレベーターが止まってる。14階まで階段で上がって部屋に入ったら被害は電子レンジだけで済んでよかった…ってええことあるかいプンプン月例ライブ「お花畑ライブ」を始めてみたのもこの月だった。


4月。業界のために何かできるか、そうしたことを真剣に考えていたとき。手始めに組合の委員会に加入。そこから地区委員会とかも開催され、これからも精進していこう。


5月。この時期はトラブルが相次いで価値ある目標などくそくらえ!なんて自暴自棄になっていた。
そんな心を癒してくれた、いや、奮い立たせてくれたのが前述の女芸人たちだったシラー


6月。是非に及ばずで福島に出張。地震及び津波の残酷な現場をこの目で見てきた。と同時に、東京電力の東京電力による人災に腹が立ったプンプンFacebookで活動を活発化させたのもこの時期だった。


7月。タヤマ学校VIP10に参加(~10月まで)、価値ある目標。これを確立させていきたいと思った。しかしいまだに見つかっていない僕。日々悶々としちゃってら。


8月。実践、実践、葛藤の毎日。ブランド力のなさに落胆し、無気力になりかけた。そんな僕を変える出来事が次の月に起こる。


9月。9か月ぶりにタヤマ学校の研修会場に現れる。オーナーズクラブ始動のためだ。いったい何をするのかいまだにわかっていないけど、夢の支援をここでしていけたら、これ幸いニコニコ


10月。およそ16年ぶりにカトリック教会のミサに参加王冠2心が洗われる気分、信仰講座にも参加をし、来年4月のイースターで洗礼を受けたいと思ってる。。。けどもっと期間が必要なのかな?


11月。営業先を駆け回る毎日。目が回ってブログを書く暇もなかったなガーン

12月。11月に続き営業先を駆け回る毎日。しかし本業がおろそかになっていることにようやっと気づき、軌道修正を図る。

いろいろあったけど、今年1年無事にいられたこと、神に感謝。。。

(写真はクリスマスイブにおけるスカイツリーの見える教会)
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みなさん今年1年、お疲れ様でした。。。

決断の重要さ

ものすごく久々にブログを書いた気がする。前に書いたのはタルムードだったのでVIP10だったか。

今僕に足りないもの・・・それは、『決断』だったのではないかと思う。
『出来るかな・・・』『出来ないだろうな・・・』そんな事を考えて日々悶々をしていた気がする。

しかしそれでは前へ進めない。停滞は後退とほぼ同義。

では、『決断』が何故重要か。

例えそれが間違っていたとしても、行動を起こす事になる。したら結果が出る。結果がどうあれそれを検証し、軌道修正をかけ、よりよい決断をする事ができる。

これはかつて僕がVIP1で学んだ『是非に及ばず』にリンクしている。

決断しなければいずれにしても失敗する。そして後悔する事になる。

やらないで後悔するんだったらやって後悔した方がいいんじゃないかな?

ただ、後悔するのは宜しくない。

『決断』と言うのは『決めて断ち切る』と書く。

どういう事かと言うと、『成功しないオプションを残さない!』これに尽きる。

とにもかくにも『やるんだ!』と言う気持ちを持たないといかんということだ。

「事勿れ主義」とはもうおさらばだ!

ちなみに僕の決断、その1つは「業界の再興」。停滞しているこの業界を再興させる事。

かなりでかいことを言っているような気がするけど僕はそうは思わない。月に行く方が今でもよっぽど難しい。

ちなみに、月に行ったときのコンピュータの能力はファミコン以下だった。それからつきに行った国はない。明確な目標がないからだ。

よーするに、小さい計画を立てるな!それでは人生もちんまりしてしまう。

そもそも、言ってしまった以上実現しないと行けない。僕の人生、そうじゃないと面白くない。

タヤマ学校VIP10研修報告:まじかる☆タルムードくん

今週始めにタヤマ学校VIP10に参加して参りました。
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(画像はオフィシャルから拝借しました)

今回は起承転結の「結」。全てのまとめと言う事です。

まずは、「価値ある目標」
タヤマ学校で学んだ事の利用法として、某エアコン関係の方のプレゼンを受けた。
これは、職人ドリームプランの一環として行われている者だ。
日本の原点である「モノ作り」にスポットライトを当てよう、そんな団体です。

次に、「陽明学」
陽明学とは、全て実戦から始まると言うタヤマ学校の柱の1本。
対義語には「朱子学」がある。

そして、タヤマ学校のもう1本の柱「タルムード」
これはユダヤ4000年の英知。ノーベル賞受賞者に何故ユダヤ人が多いか。元は旧約聖書から始まったもの。
その一説を講演して頂いた。

そして、最後の項目「闇夜のカラス」
これについては・・・秘密です。


参加された皆さん、本当にお疲れさまでした。

神に感謝:ルカによる福音書より

最近、いろんな意味でぐ~たらを打開する為に片道30分かけて教会に行っているSUMERAGIです。それではお話しさせて頂きます。

まず、新約聖書のルカによる福音書第12章49節~50節をば。

【わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマ(洗礼)がある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。】


いきなり強烈ですねこれ。ここで言う「火」とは、罪を悔い改める事なんです。悔い改める為に洗礼があるわけで。イエス様は十字架に架けられ、苦しい想いをした。そして、洗礼を受け甦ったと言う事です。

「火」が清めるものであるというのは、旧約聖書のマラキ書3章1~3節にあります。
【見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。
彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる。】


この中の「金をふきわける者の火」、これが悪を燃やして本当の金になると言う意味なんです。また、週末に悔い改めよと言う事もここで説かれています。

で、ルカによる福音書第12章51~53節を
【あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。 というのは、
今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に、対立するであろう】


ここでいう「平和」とは出発であって本質ではないらしいです。

そもそも平和ってなんだろうと考えさせられます。
波風立てない事が平和かな?自分を持たないのが平和かな?それは多分違う。

平和とは、
「何でも言える自分がある」こと。
「隣人の為に働く」こと。
「与えてそして与えられる」こと。

それを他から与えずに取ってしまう。それがすなわち戦争です。

分裂が嫌だから意見が言えない、これは自由ではありませんね。
この分裂と言うのは人間として生きる事の対立なんです。
そしてお互い議論していいものを作り上げていく、それが平和なんです。
いいものを作り上げて行く上で対立は悪ではないのです。

「YESMANばかりじゃ平和は訪れない」、この一言に尽きます。

お互いに心の罪を悔い改め、そして議論して行けば、きっと道は開けます。

とまぁ書きながら自分でも考えさせられました。

神に感謝。。。