幻の天才漫画家桑田次郎(その6) | 不屈座のブログ

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月光仮面はTV終了後も少年クラブで連載は続いていたのだが、桑田先生ご自身の興味は次の作品に移し、昭和35年1月号から

まぼろし城

を少年クラブで発表するのである。

これもTV化しており作品そのものは成功しているのだが…

漫画の月光仮面の終わりについては、水面下で講談社と揉めに揉めていたのである。

桑田先生としては新作を手掛けたい、講談社としては人気作品を止めるなんてトンでもない!

同じ作家業として桑田先生の、新作チャレンジの意欲的な気持ちは確かによく分かる。

だが、講談社のドル箱の連載作品を失うのは絶対あり得ない!と思う気持ちはもっと分かる。

そしてこの結末は、最終的に講談社側が桑田先生に折れる形で、まぼろし城の新連載を認めたのである。

講談社としては、今ここで桑田先生と絶縁するのは会社にとっても大打撃と判断しての決断だったのだろう。

だが、この英断は短期的に見れば失敗であり、長期的に見れば

大成功

になる。その話はまた後ほどするとして肝心の月光仮面の漫画は、桑田先生から桑田先生のアシスタントだった楠高治先生にバトンタッチされてその後も昭和36年10月まで連載は続いた。

ちなみに楠先生の代表作は

人呼んで流星仮面

の真似が当時の児童に流行った、あのTVアニメの流星仮面である。

だが、当時の楠先生が描かれた月光仮面は桑田先生に比べると明らかに画力不足であり、楠作品としての月光仮面連載は僅か一年半ほどで終了になった。

そして月光仮面の連載終了は…そのまま少年クラブの運命も変えてしまう。

なんと月光仮面終了から僅か1年2ヶ月後に少年クラブは休刊(昭和37年12月号)したのである。

実はこの頃、世は月刊誌から週刊誌に移行中で、月刊誌の客層が緩やかにだが、徐々に週刊誌へ移っていったのである。いや、正確に言えば

少年サンデー

に移っていったのである。では、ライバルの少年マガジンは?と言うと…

当時は看板作品が不作の時代

だったのである。

つづく