幻の天才漫画家桑田次郎(その5) | 不屈座のブログ

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さて、僕がなぜ急に桑田次郎先生の話をしたくなったのか?は、先日僕が月光仮面の話をしたことを皆さんは覚えておられるだろうか?

あの月光仮面の漫画執筆者こそが、桑田先生なのである。

そして桑田先生は月光仮面だけでなく、それより以前にご自分で…

少年探偵王

をオリジナル作品として少年画報で発表しているのである。

この少年探偵王、後の…

『まぼろし探偵』

である(※奥村のCRアカギの予告演出の真似)。

そればかりではない!

コミカライズとして、怪傑黒頭巾、丹下左膳、スーパージャイアンツに極めつけが

『空の大怪獣ラドン』

そう、ゴジラシリーズに出てくるあのラドンも桑田先生は漫画にしていたのである。

つまり桑田先生はTV黎明期だけでなく、映画業界までも貢献された漫画界を代表する天才漫画家だったのである。

それだけではない!

桑田先生が本当にスゴいのは漫画家デビューした年である。

前述の手塚治虫は19歳、横山先生も19歳に対して桑田先生は…

なんと13歳にて単行本デビューである。

中学生の単行本デビューは、パチンコ業界に貢献された大御所先生でも達成していない偉業なのである!

あの藤子先生、石森先生すらも漫画家デビューは高校生である。

しかも同じデビューであっても単行本デビューではない。

また、松本先生は高校生で単行本を描くもそれが実際に本になったのはそれから3年後だった。

そんなわけで、当時手塚治虫を凌ぐほどの周囲の評価を受けていた漫画家こそが、桑田先生だったのである。

そして桑田先生は手塚治虫が急病で鉄腕アトムが落ちそうになった時にも、代筆のピンチヒッターをしており、鉄腕アトムの代筆をした意味とは

手塚治虫も認めた本物の天才漫画家

でもある。そして面白いのは手塚治虫だけでなく、出版社からも絶大な人気…特に

講談社

が手放さないほどだったのである。

そのため、やがてある悲劇が生まれるのだが…

その時は桑田先生も講談社も全く気付いていなかった。

つづく