アクセス数の結果は、谷村パチンコランド編集部が、毎週分を各コラムニストに数値の結果報告をしていた。
更にその資料は個人ではなく、全員分…
つまりお互いライバル視する相手の数値も確認出来たのである。
そこには僕が逆立ちしてもアクセス数を抜けないライバルがいた。
星沼良晶さんである。
星沼さんと僕は谷村パチンコランドでは、全く同じ日にコラムデビューをした。
だから彼とは谷村パチンコランド内では、全くの五分のスタートであり、やがてアクセス数に差が出来たことに
コンプレックス
が生まれた。僕が分析する彼の人気の秘密は彼がパチンコで勝っているからで、それをキャラとして立派に確立していることだ。
一方、僕はパチンコにおいては負けキャラ、でもサイト内では、読者のお便りコーナーに何度も名前が載るほどの人気者だった。
実力者と人気者が同サイト内にいるとサイト経営者側は、ずいぶん気を使う。
谷村パチンコランド編集部は確かに僕を大事にしてくれた
が、星沼さんに対してはもっと大事にしていた
のである。それもこれもアクセス数が当時、谷村先生の次のポジションだったからだ。
その領域は僕がいくら努力してもたどり着けないゾーンだった。
だが、ある偶然が二人の形成を逆転させる。
それは僕が谷村パチンコランド内で2本目の連載、インタビューモノを始めるのである。
そしてこの連載は評価を落とすことなく終了した。
では、インタビューコラムはどのようにして生まれたのか?
実は当時、谷村パチンコランド編集部の会議に僕も参加してその中である。
ちなみに日替りコラムニストで、会議に参加しているのは僕一人だけ。
意外に思われるが、谷村先生とはこの会議では1度もお会いしていない。
話が脱線したので元に戻す。
僕が谷村パチンコランド編集部の会議に毎回参加していたことで、月曜日の連載コラムが終了することを谷村パチンコランド編集部と一緒にいち早く知ることになった。
そして後続コラムの案を話しているうち…
1番不屈座インタビューやりま~す!
ナント!その場で僕が立候補をしたのである。
これには谷村パチンコランド編集部も驚いたが、発言をした僕はもっと驚いた(爆)。
今考えても、この辺のやり取りは覚えているのだが、やはり立候補に至る推移だけは思い出せない…
パチンコの女神様が後年の僕を見越して手招いた気まぐれだったのだろうか?
つづく