谷村パチンコランドの思い出(その3) | 不屈座のブログ

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これ以降はデリケートな話になるから出来るだけ丁寧に語りたいと思う。

まず、谷村パチンコランドの日替りコラムの連載終了とは

読者のアクセス数

が全てだった。だから、どのコラムニスト(ライター)も自分のライフラインを無くさないよう、それこそ惜しみ無く最新情報を各々が発信していたと思う。

現在の僕に関するキーワードとして

最新情報
惜しみ無く
アクセス数

は、この谷村パチンコランドで叩き込まれたと言っても過言ではない。

そして僕は谷村パチンコランドで、月曜日にインタビューコラム、火曜日に機種情報、後に実戦コラムを発信していた。

余談だが、僕と谷村パチンコランドとは原稿の締め切り関係が一番揉めていた。

それこそ他のライターとは比較にならないくらい…

この理由は立場が違うから第三者からすれば

見解の相違

になるが、谷村パチンコランド編集部への原稿提出日があまりにも早いのである。

つまり谷村パチンコランドは、まず谷村パチンコランド編集部のチェックがあり、その修正時間を加味しての早めの原稿提出日を設けていた。

僕の場合で言えば、月曜日のインタビューの場合、2日前の土曜日まで、火曜日のコラムは3日前の土曜日までだった。

これを読んでどうして両方土曜日なんだ?と直感した人はセンスがあると思う。

実はインタビューの締め切りを谷村パチンコランド編集部側としては、金曜日にしたいのだが、第三者(インタビューゲスト)が絡むため1日延期してもらっているのが実情だった。

なので、僕にとっては毎週金曜土曜が修羅場だった。

それこそ漫画家の忙しいシーンが、僕の場合この2日間になる。

これに古巣の実戦担当の仕事、漫画パチンカーではコラム連載の仕事、地方タウン誌ではプレミアム写メ指南の仕事、それと本来、谷村パチンコランド編集部がする日々の仕事

これらを僕はかなり長期間において、最前線で情報発信をしていたのである。

だから自分で言い訳をするつもりはないが、当時の僕は

こんなにパチンコ業界貢献をしている僕を谷村パチンコランドが見捨てるはずがない

を当たり前のように思っていた。

だが…

つづく