そう、パチランは有料サイトであり
お得感情報
に拘り続けた。そのため、ホール関係者ならホール戦略(今なら何を打てば良いか?)とか、コンサルタントからなら現在のホール事情など
普通はまず聞けない情報
や金銭的な価値がある情報を僕が聞いてくることに拘っていた。そして保育ルームについては
保育ルーム誕生の由来や現状
などを聞いても読者は
フーン
で終わると思われるためのNGだった。なので、残る1枠を何にするのか?で毎回頭を痛めていた。
プリプリのMの冒頭は
いつも一緒にい~たかった
だが、僕の場合
いつも頭が痛かった
で、それくらいインタビューには、四六時中僕の神経を費やしていた。
そして後年パチラン会議を通じてインタビューの残りの1枠は
パチンコに関する人、関わる人なら誰でもOK
と人選選びが大分楽になった。
だから、この人選選びはある意味僕のセンスでもあった。
そして忘れもしないエキサイトの松田社長にインタビューしたいと、敢行手続きとしてニューギンに何度も足を運ぶも、最終的には実現しなかった。
このインタビューにも当然ながら締め切りがあって、期日内に相手のインタビューが出来なければ、別の職種なり人なり一から変更させなければならなかった。
それがまた大変でとにかく
人選のストック
を要するコラムなのだが、毎回一人を見つけるだけでも難産だった。
だからその分ギャラが高かったのだが…
そのタイミングに、偶然にも後藤次利さんのインタビューが実現したのである。
後藤さんと言えばアイドルキ…ゲフンゲフン×∞(爆∞)。
このインタビューが実現したのは、仲介人がいたからだった。
これは花の慶次関係のインタビューとして、僕は事前に変化球として編集部に後藤さんとインタビュー出来るかも?と申し出ていたのだが…
絶対に実現させてくれ!
と編集部の今までにない熱望を集めたほどだった。
それを裏付けるのが、編集部が菓子折を用意してくれたほどだった。
不屈座さん(※ここは僕のペンネーム)は菓子折の分を後藤次利さんの謝礼に回してくれたら良いからと言われ
オイオイ僕は一体どれだけ後藤さんに謝礼をしなきゃイケないんだよ…とインタビュー当日が不安になった。
(明日に続く)