とはいえ、テレビ・ラジオ・衛星放送等の放送業界でのデビュー目標とは、僕にとっても
エベレスト山
を登るほどの険しい道のりで、現にまだ実現していない。
それに僕の最終肩書きはパチンコ漫画原作者…
ダメだ!これではとうてい放送業界のデビューなんて無理に決まっている…
僕は出版業界においてはそれなりに貢献をしたつもりだが、トータル的に見た場合
上には上の貢献者であるパチンコ業界人がウジャウジャ
いたのである。その彼らを差し置いてまで、僕がTV局のプロデューサーやラジオ局のディレクターに認めてもらうには、当時の僕の肩書きでは絶対不可能だった。
何度冷静に考えても僕の最終履歴書では
ペラ郎
に等しいと悟った以上、諦めるか?更に別の試練に挑むか?の
究極の選択
を僕は迫られた。そして決断したのは、自分の力を今まで以上に身に付けるためにと、別の試練にチャレンジしたのだった。
そして次の活動場所はネット界に決めるのだが、そこで書き込みデビューするまでに
僕はネット界の勉強期間を2年弱していたのである。
当時の僕にとってネット界とは、完全に未知の世界であり、それこそ毎日が驚きの連続だった。
特にまとめサイトにおけるパチンコ業界の日常の更新スピードを見てしまうと
僕は今まで一体何をしていたんだ…
と愕然になった。これは大袈裟ではなく、バッティングセンターにおいてプロ野球のピッチャーのボールを打つくらい
(情報の)スピード(更新)が速すぎる…
のだった。それもあり、当初は1年間の勉強予定期間が、最終的には2年近くにまで延びてしまったのである。
そして…
ようやく僕がネット界においてデビュー時期を2014年1月と設定した日に最終確認として
ほぼ全部のパチンコメーカー
に僕の方から挨拶に伺ったのだった。
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