本来、パチンコ必勝ガイドライターとは、筆記試験と面接の両方を合格しないと誰も誌面デビューは出来ない。
このシステムは現在も続いているのだが、僕は古巣で唯一の無試験合格者だった。
僕が無試験で古巣ライターになれたのは、パチンコの天才児だからではない。
あくまでも、既に漫画パチンカーで連載コラムを持っていたキャリアによる免除だった。
それは、世間で言うところの経験者優遇と変わらない扱いなのである。
ところが、当時の古巣のスタッフ及び同僚ライターには、そこを理解してもらえず腹の底で
何でアイツだけ無試験なんだ!
の想いが彼らにはフツフツとあったと思う。
そしてそれは決して僕の妄想ではなく、ある日
心臓を刺された
ほどの衝撃な言葉を幹部編集者が話していたことを僕は後輩ライターから聞いた。それは…
『俺の目の黒いうちにはアイツへ絶対仕事を渡さない!』
だった。そしてそれが証拠に僕は古巣で専属ライターの肩書きがあっても、扱われ方は
外様大名
で、いくら古巣で手柄を立てても出世をすることが(出来)なかった。そのうちに
僕は完全に飼い殺されている…
と自覚した以上、僕が新天地を目指したのは、ある意味自然の行為だった。
…イカン、タイトルと大幅に話が脱線したので元に戻す。
2つ目はライバル会社のライターとして僕が再デビューしたとしても
その裏で、再び人間関係で悩まされるのがコリゴリで僕の方が敬遠しているのである。
そして3つ目は、古巣からの思われ方だろうか?
アイツ俺たちの情報をバラすぞ…
そんなことは決してするはずないのに、そう思われるのも嫌なので、やはり気乗りがしなかったのである。
そんな感じでパチンコライターの移籍とは実に難しく、漫画家の先生による出版社間の移動とは違う、狭い世界だったのである。
そして…僕はパチンコ業界と別の仕事に就き、完全にメディアとは手を引きながらも
昔の浪人
同様、自分の腕を磨いておこうと思った。
最初に…再び専門誌で復活してみせるぞ!の意気込みはもうなかった。
と語ったが、それはあくまでも専門誌に限っての話であり、僕はまだ全てを諦めたわけではなかった。
僕のカンバック先は、はなから専門誌ではなく、更なる高みの
テレビ・ラジオ・衛星放送等の放送業界
だった。
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