渋谷マルハンタワービルで、CR春一番のミラクルヒキをした僕は3日後、休みを取ってパチンコをしたってのが今回のお話。
その前に…最近の僕のパチンコスタイルは、仕事帰りに少しの時間だけ打つで、レートも機種もその時の気分次第、完全な行き当たりバッタリな感じ。
昔は計画性を持ってパチンコをしてたんだけど…
当たり前なんだけど、結果がついて来なくてね…
僕の場合は昔からそうなんだけど
完全な確率のヒキ負け
なんだよね。この世界に入る前、それこそ確変突入率が50%しかない時代があって、僕はその時期にパチンコデビューしたんだけど、記録をつけてたら
確率突入率がトータルで36%
くらいしかなかったんだよね。
それでも、その時はパチプロモドキみたいなことをしてたんだけど…
カツカツだけど何とか生活は出来たんだよね。
確変が36%しか引けない男がだよ、このマジック分かる?
答えは持ち玉で戦えた
そう、投資が少なくて展開次第による勝負だったんだよね。
それこそ粘って勝つ!という、おそらく今では通じない立ち回りで僕は食べていたんだよね…
で、朝から打ち始めて通常当たりが普通で、朝イチの当たりが確変だった時点で
ヨシ、今日は勝てる!
と思い込んでいてね。実際は勝ったり負けたりなんだけど、
朝イチの大当りが確変かどうかで、その日の勝敗がほぼ決まり
だったよ。だから僕は朝イチの大当りが確変だったら攻めるけど、通常だったら
ヤメ時を意識してパチンコしてたね。
そんな感じで、僕は昔からギャンブラーな人間だったんだけど、パチンコホール関係者から見た僕という人間は…
煮ても焼いても喰えないギャンブラー
ってポジションになるんだろうね。
とにかくホール関係者にとっては
ガン細胞
のような存在なんだけど、出してる時はキッチリと
閉店近くまで店の広告塔になりながら
打っていたね。だからホールとしても、僕の存在を痛し痒しと思いながらも、どこか
しょうがない
の気持ちで出禁にしなかったと思う。
なにぶん大勝ちをしなかった人だからね。
小金で凌いでいる人だから店の方も
そんなに目くじら立てなくても…
の考えだったと思う。こうして僕は確変50%時代を
地上最低(収入)のパチプロ
として、それこそ何とか生き延びて来たんだよね。
で、ゼロヨン基準機(※2004年の確変割合変更のこと)
の時に大ヤマト2や初代アントニオ猪木の台が出てね。
僕としては確変の上限が50%以上になったことで
これでやっと安定した収入になる!
と喜んでいたんだけど、実際は
氷河期
だったんだよね…大ヤマト2なんて最終的にトータル50万弱しか勝ってないし、猪木もショボ勝ちしかしてないし…
それよりもパチプロモドキを引退するきっかけが初代猪木だったんだよ。
next