ある日、朝イチから猪木を打ち始めて夕方の6時くらいに6回目の初当たりをしたんだけど
その全ての大当りが20%の通常だったんだよね(豪泣)。
このエピソード今思い出しても悔しくはなく、ただただ泣けるんだよね。
初代猪木は出玉は少なかったけど確変は80%あってね、それが20%の6乗という
天文学的なあり得ないヒキ
をしたために
僕は持っていない人間なんだ
と、この日自分で理解したんだ。
父はこんな僕のギャンブラー運を昔から見抜いていてね…
『お前は昔から節目に弱い』
と言われていたんだ。だから僕としてはそれを認めたくないのもあって、それまで抗った人生を送ってきたんだけど…
結果としては父の眼力の方が正解だったわけで…
そして、それを素直に受け止めて僕はパチプロモドキの生活を終えるんだけど
その引退記念として、僕はパチンコ漫画の原作を作ったんだよね。
で、確かそれを作ってから漫画パチンカー編集部に
いきなり電話して(爆)
原稿を送ったんだよね。
分かる、この非常識な手順?
普通ならあり得ないですよ。
と言うか、白夜もよく僕を採用したなぁ…と今でも思うくらいなんだけど…
まぁ、こんな自慢モドキな話がしたいのではなく、猪木の信じられないヒキ弱が言いたいわけで、それを前提にようやく本題に入るよ。
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