1、これも正村竹一さん。
解説:というより、正村ゲージの誕生の時に、現在の
八の字(ハカマ)型の釘配列と風車
も、一緒に考案されたのです。
なお、風車は正村竹一さんの故郷である、岐阜県稲葉郡茜部村の水車をヒントに誕生した産物です。
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2、昭和28年の43452軒。
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3、1分間で200発。
解説:この機種は射幸性が高いみなされ、昭和30年に全国一斉禁止になります。
そしてホール減少にも影響を与え(昭和30年:12391軒、昭和31年:9365軒)、業界初の冬の時代に突入します。
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4、チューリップ機の誕生。
解説:チューリップ機は、昭和35年、大阪の部品メーカーが考案し、成田製作所が特許に出願しました。
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5、ユニパック。
解説:ユニパックは、それまで一体構造で、木枠だったパチンコ台の枠の金属部分を
プラスチック製
にして、着脱を可能にしました。
その後、昭和46年に、現在のような、盤面も着脱可能な筐体がデビューすることになります。
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6、意図的に玉が出続ける機種です。
解説:フィーバーの開発秘話には
昔の機械は良く故障し、チューリップが開きっぱなしの台もあったこと。
店も機械が壊れてても出玉の容認をしていたこと。
ユーザーがこの現象を面白がったこと。
このメーカー、ホール、ユーザーの
三位一体
が、誕生要素にありました。
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