梶原先生の最後のヒット作品になったのは、昭和53/8月にスタートした
『人間兇器』(作画は中野喜雄先生)
だ。コミックスは全23巻だが、梶原先生が昭和58年5月に逮捕されたために連載は中断、後に連載再開、完結させる話に運んだため
梶原先生の逮捕がなければ、梶原先生作品における記録ホルダーを刻む可能性のあった作品であった。
※梶原先生のコミックス最長作品は、KCコミックスの空手バカ一代が全29巻、人間兇器の全23巻は、No.2になる。
この人間兇器が、梶原ダーク作品の最後の1つで、空手作品にバイオレンスが加わり、大山倍達をイメージした師匠を持つ主人公と…
梶原先生が原作者じゃなかったら、ホントにこんな生き方をしているんじゃないか?
と、思わせるほどのピカレスク作品だった。
でも、この作品には救いがあって、数々の悪事を行った主人公は最後
自分の息子を助けるために絶命する
という、人間の本質は悪と作品内で言いながら
性善説
の結びにするのが、また梶原先生らしいニクいラストだなぁ、と当時思ったものだ。
そう、梶原先生は最期まで(作品としては失敗しても)滅びの美学を意識していた原作者だっだ。
いや作家と読んでもいい。
だけど、自分が毎日のように飲みにいく銀座のスナックで、ママやホステスから
マンガのおじちゃん
と、(ずっと)ワンランク下げられた扱いをされていたのも
梶原先生の心が荒廃する理由だった。
ちば先生というかなわない相手の存在、自分が制作した映画で赤字が続き、飲んでも飲んでも心から酔えない場所…
梶原先生にとって仕事(漫画原作者)以外の面は
全てがフラストレーションの塊
だった。梶原先生が逮捕された直接の事件は
月刊少年マガジンの副編集長を殴打
したことだが、それはスナックで起こった出来事だった。
この事件、実は当初、殴られた副編集長も酒席の出来事として事件にするつもりはなかったのだが…当局の強い勧めで事件になった経緯がある。
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