梶原一騎先生のパチンコ業界における業績は…(その28) | 不屈座のブログ

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実はこの映画、梶原先生サイドと大山氏サイドで、それぞれ半分ずつ映画制作費を出資したのだが…

配給収入の分配を、梶原先生サイドから大山氏サイドに対して渡されることなく、続編の『地上最強のカラテ・パート2』(1977年)も

同じことを梶原先生サイドがして、大山氏サイドは一円も手にしないのである…

この面だけを見ると当然梶原先生が悪いのだが、その舞台裏は…

梶原先生と大山倍達氏が一緒に設立した

三協映画

が、赤字作品をいくつも生み出しており、梶原先生に言わせれば、地上最強のカラテがヒットしても、それまでの赤字を差し引くと

利益は微々たるもの

と主張していた。

だが、これは社会的にも通じないだろう。

そして…梶原先生が本当に転落していくのは…

映画制作

の存在が、かなり大きかった。

愛と誠の映画ヒットで映画制作の分野に足を踏み入れた梶原先生だったが、所詮は素人

芸能界の波に飲まれて消えた

が相応しい表現になると思う。

逮捕される寸前まで、マンガ原作で得た金を映画制作費に回し、最後は赤字で終わる

なんだか私たちのパチンコにおける行為を梶原先生の場合、映画制作に当てはまるような…

大山氏は、その後の梶原先生のスキャンダルや逮捕と闘病生活、この全てを静観していただが、昭和58年に大病から奇跡的な生還をした梶原先生に、実は匿名で励ましの手紙を送っていた。

また梶原先生の遺作の漫画ゴラク追悼号にも

もっと早く仲直りすべきだった。許すべきだった。後悔しています。(中略)。約20年間のつきあいでしたが仲直りできなかったのが、かえすがえすも残念でなりません。仏に申し訳ないと思っています

と、梶原ファンなら

涙を流さずにはいられない

ほどの大山氏の愛情のある一文が寄せられていた。

ちば先生とは違い、大山氏を兄のように慕っていた梶原先生…

先生がお亡くなりになって、初めて大山氏のホンネが出ただけに、もしかしたらその時、梶原先生も、天国で笑顔をしていたのかもしれない。

~明日に続く~