昭和47年10月スタートのボディーガード牙は、昭和49年2月まで続き、この続編にあたる作品が
梶原ダーク3部作の2作目
になる。それが
『新・ボディーガード牙/カラテ地獄変』(通称、新カラテ地獄変)
だ。
この作品は、前作の主人公である牙直人が、本来ならば続編も主人公のはずなのに
何故か牙直人の師匠が主人公
で、ラストで牙直人と出会うエピソードで完結という
タイムパラドックス
なマンガだった。どうしてそんなマンガになってしまったかというと
牙直人の師匠のモデルを
空手バカ一代の大山倍達
として前作から描いていたからだ。
余談だが、空手バカ一代は、昭和46年5月に少年マガジンで連載開始、昭和52年に終了するが、この新・ボディーガード牙/カラテ地獄変、引き続き『正編カラテ地獄変』の途中で、梶原先生が逮捕される(昭和58年5月)までの12年間、週刊誌のマンガという形で
極真空手&大山倍達氏を宣伝
していた事になる。
これが当時の空手ブームの正体である。
現在、格闘技が市民権を得ているのは、この下地があったからであり
梶原ダーク作も一役買っていたのは、なんとも皮肉である。
ただ、大山倍達氏が空手界の父ならば、大山倍達氏をモデルで世間に広めた梶原先生は
文字通り、空手界の母とも言えよう。
この現象も誤解を恐れずに言えば
梶原先生は日本の空手界を変えた方であり、梶原先生がいなければ…
今日の空手界は全く違う道を歩んでいるはずだ!
しかし…悲しいかな。
空手ブームを生み出し、義兄弟の契りを結んだお二人なのに…
最終的には訣別したまま梶原先生は鬼籍に入られてしまう。
その理由の入口が、空手バカ一代のヒットだから、梶原先生のファンとしては、なんともやるせなくなる…
どういうことかと言うと、空手バカ一代のヒットによって、極真空手内における梶原先生の立場は、次第に発言力が大きくなり、それは後に、大山派、梶原派の二大勢力に分裂するほどだった。
その最中に極真空手の普及に貢献した映画
『地上最強のカラテ』(1976年)が大ヒットをするも、これが梶原先生と大山倍達氏の仲が壊れてしまう決定打になってしまう。
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