梶原一騎先生のパチンコ業界における業績は…(その26) | 不屈座のブログ

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※ちなみに愛と誠の連載中、最高3作品の梶原作品が毎週少年マガジンに掲載されていた。

愛と誠は梶原先生が、昔から手掛けたかった

純愛路線

であり、過去作品とは完全に作品のカラーが違う。

それにも関わらず、この作品は当時大ヒットした。

TVに映画に、そしてヒロイン

『早乙女愛』

の名前がそのまま芸能名になるという

まさにヒロインの産みの親にまで先生はなったのだ!

しかし!!

この社会的評価の一方で、梶原先生は後に

梶原ダーク3部作

と呼ばれる

同一人物が手掛けたとは思えない作品も連載を始める。

その一番最初の作品が、昭和47年10月に始まった

『ボディーガード牙』(作画は中城健先生)

だった。

ボディーガード牙は、週刊サンケイ(現在のSPA!の前身誌)で連載した

成人向け空手バカ一代

に相応しい作品で、空手バカ一代と決定的に違うのは

梶原先生の歪んだ性癖と暴力シーン

が、作品内でたくさん見られることだった…(滝汗)

ちなみに、ボディーガード牙を描かれる中城健先生は、ボディーガード牙と同時進行で1年後、少年マガジンで

『紅の挑戦者』

も連載を始める。

中城先生は毎週2作品の梶原原稿を手掛けるも、梶原先生のダーク作品の描き過ぎで

最後は精神的体調を崩し降板(後任は空手バカ一代の影丸先生が担当)するハプニングが生じる。

それほど、この時期の梶原原作には

滅びの美学

には到底及ばない、殺伐した作品が連続したのだった。

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