※ちなみに愛と誠の連載中、最高3作品の梶原作品が毎週少年マガジンに掲載されていた。
愛と誠は梶原先生が、昔から手掛けたかった
純愛路線
であり、過去作品とは完全に作品のカラーが違う。
それにも関わらず、この作品は当時大ヒットした。
TVに映画に、そしてヒロイン
『早乙女愛』
の名前がそのまま芸能名になるという
まさにヒロインの産みの親にまで先生はなったのだ!
しかし!!
この社会的評価の一方で、梶原先生は後に
梶原ダーク3部作
と呼ばれる
同一人物が手掛けたとは思えない作品も連載を始める。
その一番最初の作品が、昭和47年10月に始まった
『ボディーガード牙』(作画は中城健先生)
だった。
ボディーガード牙は、週刊サンケイ(現在のSPA!の前身誌)で連載した
成人向け空手バカ一代
に相応しい作品で、空手バカ一代と決定的に違うのは
梶原先生の歪んだ性癖と暴力シーン
が、作品内でたくさん見られることだった…(滝汗)
ちなみに、ボディーガード牙を描かれる中城健先生は、ボディーガード牙と同時進行で1年後、少年マガジンで
『紅の挑戦者』
も連載を始める。
中城先生は毎週2作品の梶原原稿を手掛けるも、梶原先生のダーク作品の描き過ぎで
最後は精神的体調を崩し降板(後任は空手バカ一代の影丸先生が担当)するハプニングが生じる。
それほど、この時期の梶原原作には
滅びの美学
には到底及ばない、殺伐した作品が連続したのだった。
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