梶原一騎先生のパチンコ業界における業績は…(その25) | 不屈座のブログ

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あしたのジョーの連載中に、梶原先生の心を支配していたのは

コンプレックス

だったのだろうか?

実は、あしたのジョー最終回の少年マガジン昭和48年19号は

梶原先生と、ちば先生がリング上で両手を包み込むように握手し、背景に読者がすし詰めにいる

独特な嵌め込み表紙だった。

しかし…注目したいのはの被写体であるお二人の

表情

だ。ちば先生はジョーを描き終えて、暫くは食事も満足に出来ないほどの疲れが溜まっていた、と関係資料を見た記憶がある。

だから笑顔がないのは分かる。

しかし、梶原先生も…

笑顔がないのである。

それに、このポーズはお互い目線を合わせず正面のショットである。

険しい顔とは言わないが、5年に渡る長期連載を出来たのは読者様のおかげなんだから、感謝としての笑みを見たいと思う僕の考えがおかしいのだろうか?

ちば先生に対し目を合わせず、笑っていない梶原先生は、そのまま、ちば先生との関係を思わせるショットだった。

では、あしたのジョーの連載が終わり、梶原先生はスランプとなり、後に事件を起こすのか?と言うと…

答えはノーである。

幸か不幸か、梶原先生には生涯を通じて

スランプ

とは、ほぼ無縁の人であった。

ただし、梶原先生と少年マガジンとの関係は特殊で、マガジンで2作品の連載中、どちらかが終了すると梶原先生の機嫌が悪くなり、講談社側は、次の新連載の話を持ち込み、梶原先生の連載を常に2作品用意するご機嫌を取っていた。

これは逮捕される昭和58年5月まで、続くのだが、継続の動機が不純なためなのか

昭和48年1月に連載が始まった

『愛と誠』(作画は、ながやす巧先生)奥村でパチンコ化している。

が、梶原先生の少年マガジンにおける最後のヒット作品になった。

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