その時に僕は、谷村先生が、どうしてアシスタントの先生として影丸先生を選ばれたのか?の話を聞いた。
すると…
影丸先生が過去、少年マガジンで
白鯨
という有名小説を、読み切りマンガとして
カラー
で手掛け、その絵に惚れて
アシスタントをするならこの方しかいない
と、おっしゃっていた。
その話は、既に僕も読んでいたのだが、実は、その原作の脚色が梶原先生だったのである。
なので、僕が、その作品にまつわるトリビアの話をすると
谷村先生は、まず驚き、そして笑い、僕に心を開いてくれたのだろうか…
しかし…独学で梶原先生の研究が、谷村先生との仲介役になるとは、僕も正直夢にも思わなかった。
余談だが、空手バカ一代の後任が影丸先生に決まるのも
一番の理由は、梶原先生が影丸先生の絵に惚れていてだった。
ちなみに二番の理由は、先生の弟の原作(『ワル』)を影丸先生が手掛けていたから、そのお礼に…が、今日では通説になっている。
なんということだろう、一人の人間が描いた作品が、何人もの人生に影響を与えていたとは…
この真実は、今日僕がここで書くまで
ほとんどの出版関係者も知らないエピソード
であり、梶原先生を深く語る機会がない限り
一生、僕の胸の内だったのだが…丁度良い機会なので、今回語ってみた。
またもや話が脱線したので戻すと
谷村先生は、空手バカ一代のアシスタント業を通じて、講談社の編集者からも信頼を得たこともあり、独立に至るわけである。
そうなると、空手バカ一代を影丸先生が描かなければ、谷村先生も講談社の編集者と懇意的な仲になっていない可能性がある。
そうすると…滝汗MAX
非常に失礼な物言いになるが
つのだ先生の常識ある行動(降板)
に私たちは感謝すべきなのかもしれない…
~明日に続く~