梶原先生の歴史を振り返ると…
歴史的ニアミスというのだろうか?
第三者が聞くと、鳥肌が出るほど興奮するエピソードが幾つか存在する。
吉田先生との別れ、川崎先生との出会い。
そして…
皮肉なことに、つのだ先生との別離は、歴史的解釈をした場合
大正解
だったりする…(滝汗MAX)
何故か?
それは、今日の私たちのパチンコ業界にて、無視することの出来ない大先生が、空手バカ一代に関わっていたからである。その人物の名は
谷村ひとし先生。
そう、パチンコユーザーの多くの方が、先生を尊敬される一方で、アンチ谷村の存在も生み出されたので、必要以上に先生について語るつもりはない。
だが、谷村先生がパチンコ漫画誌で活躍されたことで
雑誌として(予算に余裕が生まれ)冒険が出来て
この僕もパチンコ業界に入ることが出来たのだ。
なので、谷村先生は僕にとって大恩人の方になる。
話が飛躍し過ぎたので、当時の話に戻すと…
空手バカ一代は、つのだじろう先生から
昭和48年48号
より影丸譲也先生に作画が交代する。
谷村先生は、ちょうど一年前の昭和47年に影丸先生のアシスタントとして採用されているが、これが、もし、つのだ先生のまま話が終結していたら…
下手をすると谷村先生は、漫画家として陽の目を見なかった可能性がある(キッパリと)。
その話を買いつまんで話すと…
谷村先生は空手バカ一代のアシスタントの中では最終的に
影丸先生の右腕的存在
となり、空手バカ一代の連載中には
独立
できるほどの腕になっていたが、影丸先生にご迷惑をかけられないから、敢えて空手バカ一代の仕事が終わる(連載が終了)まで独立しなかったと
先生の近所の焼肉店
で、僕自身が貴重な証言を、先生から直に耳にした。
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