ここで五大週刊誌(少年サンデー、少年マガジン、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオン(※創刊順に掲載))と梶原先生の関係を見ると…
少年マガジンと少年キングでは前述したように巨人の星や柔道一直線を含む数々の名作が誕生した。
では、残りの雑誌はどうだったのだろうか?
まず、少年ジャンプには、巨人の星が終わった翌月(昭和46年8月)に
『侍ジャイアンツ』高尾でパチンコ化(作画は井上コオ先生)
を連載するが、原作部門の
梶原賞
を設立(後に梶原先生の逮捕により廃止)させた功績が一番大きい。
少年チャンピオンでは、創刊間もない時期に夕やけ番長を冒険王と同時連載をし(どちらも秋田書店刊行により実現)、昭和45年4月に始まった
『朝日の恋人』(作画は、かざま鋭二先生)
は後にTVドラマになる。
そして少年マガジンのライバルである少年サンデーでは…
ナント!廃刊の寸前だった昭和47年5月に
『柔道賛歌』(作画は貝塚ひろし先生)
がアニメ化もして、少年サンデーは人気週刊誌に返り咲きしたのだ!
この時期を、もう少し詳細に語ると、少年サンデーは少年マガジンに発行部数を大きく引き離されるばかりか、5大週刊誌のうち少年サンデーだけが唯一、廃刊になる可能性があるほど、発行部数を落としており、一か八かの蘇生を、ライバル誌である少年マガジンで活躍中の梶原先生に託したのだ。
それほど当時は少年サンデーにとって、深刻な時期だった。
これは嘘のようなホントの話であり、梶原先生が講談社に義理立てしていたら
本当に少年サンデーはこの世から消えていたかもしれない…
これで、梶原先生は5大週刊誌全てにおいてTV化を実現させた人だと実証できた。
パチンコ化は少年マガジン、少年キング、少年ジャンプの作品があるが、少年サンデーの柔道賛歌は、作品としても完成しており
パチンコ化
にかなり向いている機種だと個人的に思う。
ところで、梶原先生が世間に撒いた種はこれだけではなかった。
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