さて、巨人の星の話をするのなら、やっぱり梶原一騎先生ファンなら
川崎のぼる
先生が絵師になって下さったことを、一番感謝しなければならない。
どういうことかというと、巨人の星は講談社(少年マガジン)の依頼で、原作が梶原先生にスンナリ決まったものの、作画が川崎先生に決まるまでが、また一苦労したのである。
何故なら川崎先生は当初、野球のルールを知らない理由で
頑な
に断っていたから。
あと、川崎のぼる先生サイドの理由を推測する限り、この時既に、少年サンデーと月刊誌の連載があり、この上、少年マガジンの週刊連載をこなすのは
殺人スケジュール
と他誌の担当編集者から
吹き込まれていた
のも無視できないと思う。
結局、講談社サイドは、昭和41年の春の開幕シーズンに合わせて新連載開始予定だったのが、2ヶ月遅れて始まるものの…
今思えば、梶原先生はよくシビレを切らさず、川崎先生が引き受けてくれるのを待ってくれたなぁ(苦笑)…
と運命の不思議さを考えてしまう。
川崎先生が引き受けたのは、講談社の度重なる訪問姿勢だった。
義理堅い川崎先生は、そこでようやく重い腰を上げたのだが…
結果は一年もしないうちに現れた。
少年マガジンにおいては表紙を何度も飾るほどの雑誌の顔の存在となり
昭和43年にはTVアニメ化にもなり、巨人の星は野球マンガの金字塔にまで登り詰めたのだった。
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