全くパチンコと関連のない話を延々としてますが、この時期は、梶原先生が世に出ていく躍動期であり
この時期がなければ、先生の代表三部作(巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスク)のうち、タイガーマスクは誕生していなかった可能性があります。
そうなるとエース電研とサンキョーからデビューしたCRタイガーマスクも存在しなかった可能性があり、やっぱりこの機会に、梶原先生の作品の誕生経緯に触れてみるのも悪くないと思います。
さて、吉田先生との絡みに話を移すと…
鉄腕リキヤ以後も、梶原先生と吉田先生はコンビ作品が何作も続きます。
ただ、お世辞にもしばらくはヒット作と言えるモノはなく、梶原先生にとってこの時期は、朔口を凌ぐが適した表現になります。
ところが、吉田先生は梶原先生と同時進行しながらも、先に人気作家の足掛かりの作品を描きます。
それが和製スーパーマンこと
『スーパージャイアンツ』
そう、知る人ぞ知る宇津井健さんが演じた東宝で映画化したヒーローです。
吉田先生は、この漫画をコミカライズし、絵物語だったペンタッチが、完全に以後の完成されたアメコミっぽいペンタッチに変化したのでした。
そして…ついに昭和37年の新年1号より
『チャンピオン太』(チャンピオンふとし)の新連載が始まります。
ちなみにこれが週刊誌による初のプロレス漫画で、始まってから10ヶ月後にはTV番組にもなり
当時どれだけ人気あったの!というくらい人気のあった作品でした。
このヒット作によって吉田先生は、この年
タツノコプロ
を設立
アニメを制作するのは、まだ先の話で、当初はチャンピオン太を始めとする自分の著作物の管理が目的で立ち上げたのですが…
これも実はチャンピオン太が、ここまでヒットしなければ吉田先生も、そこまで発想が浮かばなかったと思いますので
やっぱり梶原先生ありきで
タツノコプロは誕生したんだ
が僕の考えなんですよね。
なので、梶原先生は表にこそ出ませんが、タツノコプロの生みの親と言っても過言じゃない!と僕は思うんですよ。
そうするとパチンコ業界は…(以下リフレイン)
~明日に続く~