鉄腕リキヤの連載中の昭和31年に、我が心の師匠、梶原先生はある人と運命の出会いをします。
その人の名は力道山。
そう、誰もがご存知のプロレスの父ともいうべきのこの方
サミーでもパチンコになっており
図柄のないパチンコ機種
として有名で対戦相手からカウント3を奪えば大当りという、ユニークな機種でした。
その力道山との出会いは、昭和31年に東京中日新聞の連載による『力道山光浩』での取材によってでした。
原作者が取材する形で二人の接点が出来上がったのですが、これによって梶原先生は
鉄腕リキヤを始めとして、以後の先生の作品内に力道山が登場し
先生自身も(周囲に認められ)原作者の地位が向上していきます。
翌32年には、鉄腕リキヤと並行して、おもしろブック(少年ブックの前身、更に少年ジャンプの前身雑誌にもなる)に、当時有名な作家である五味康裕の小説「スポーツマン一刀齋」を脚色して『巨人軍一刀斎』を絵物語で連載します。
この作品で、先生の個性が爆発したと言われており
奇想天外な描写
は、この作品を機に誕生していきます。
いわゆる冷静に考えれば
あり得ね~だろ、コラァ(笑)
みたいなヤツです。
一例というか、これはタイガーマスクが宝庫で
新必殺技のフジヤマ・タイガー・ブリーカー(アニメではウルトラ・タイガー・ブリーカー)を編み出すエピソードとして富士山のふもとで特訓をするのですが…
タイガーが自動車の左右のタイヤを掴んで投げるシーンがあり
冷静に考えれば、車のタイヤは両手を広げてもまず
持てません(爆)!
描写している車は、そんな小さい車じゃないし(苦笑)
しかし当時のちびっこは
タイガースゲェ~
だったんですよ(爆)。
そんな手法はタイガーマスクの作成中に浮かんだのかな?と思っていたら
原点は過去に存在していたと知って
それならタイガーのアレは創作としてあり得るわ(笑)
と妙に一人納得したものでした。
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