梶原一騎先生のパチンコ業界における業績は…(その3) | 不屈座のブログ

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鉄腕リキヤの連載中の昭和31年に、我が心の師匠、梶原先生はある人と運命の出会いをします。

その人の名は力道山。

そう、誰もがご存知のプロレスの父ともいうべきのこの方

サミーでもパチンコになっており

図柄のないパチンコ機種

として有名で対戦相手からカウント3を奪えば大当りという、ユニークな機種でした。

その力道山との出会いは、昭和31年に東京中日新聞の連載による『力道山光浩』での取材によってでした。

原作者が取材する形で二人の接点が出来上がったのですが、これによって梶原先生は

鉄腕リキヤを始めとして、以後の先生の作品内に力道山が登場し

先生自身も(周囲に認められ)原作者の地位が向上していきます。

翌32年には、鉄腕リキヤと並行して、おもしろブック(少年ブックの前身、更に少年ジャンプの前身雑誌にもなる)に、当時有名な作家である五味康裕の小説「スポーツマン一刀齋」を脚色して『巨人軍一刀斎』を絵物語で連載します。

この作品で、先生の個性が爆発したと言われており

奇想天外な描写

は、この作品を機に誕生していきます。

いわゆる冷静に考えれば

あり得ね~だろ、コラァ(笑)

みたいなヤツです。

一例というか、これはタイガーマスクが宝庫で

新必殺技のフジヤマ・タイガー・ブリーカー(アニメではウルトラ・タイガー・ブリーカー)を編み出すエピソードとして富士山のふもとで特訓をするのですが…

タイガーが自動車の左右のタイヤを掴んで投げるシーンがあり

冷静に考えれば、車のタイヤは両手を広げてもまず

持てません(爆)!

描写している車は、そんな小さい車じゃないし(苦笑)

しかし当時のちびっこは

タイガースゲェ~

だったんですよ(爆)。

そんな手法はタイガーマスクの作成中に浮かんだのかな?と思っていたら

原点は過去に存在していたと知って

それならタイガーのアレは創作としてあり得るわ(笑)

と妙に一人納得したものでした。

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