※今日からしばらくパチンコニュースは、いつも以上にマニアックな内容になり、読み飛ばして頂いて全然構いません(笑)。
ハイ!というわけで、夏休みの自由研究モドキの
梶原一騎先生とパチンコ業界
のお時間がやって参りました。
司会は、幼少の時に
ぼくらマガジン創刊号
を見て
なんで創刊号からなのに話は途中からなんだろう
と、幼少の頃から
考える力
を身に付けた不屈座がお届け致します。
え~、それではまず、梶原先生が原作者デビューしたのは
昭和28年11月号の少年画報という月刊誌に掲載された
『勝利のかげに』というボクシングモノです。
ちなみにこの時の先生の年齢は
17歳
ハイッ?って、思わすほどの才能の片鱗をこの時、既に発揮していたのです。
ところでこの作品、漫画ではなく
挿し絵が何点か掲載され、絵物語という表現が近いです。
というか、当時は現在の漫画スタイルがまだ完全に定着していなく
写実主義的な挿し絵(絵物語風カット)+小説(原作文章)
のような作品が一冊の本の中の半分は占めていたのです。
出版業界も漫画ブームに移行させようと努力をしていましたが、それが実現するのは、ほんの少し先で
現在のような漫画が主流になるのは
昭和31年頃からなんですよね。
ちょうどその時期は、少年画報では、赤胴鈴之助(藤商事でパチンコ化)が始まってヒットしだしており、ライバル誌では、鉄腕アトムに続き鉄人28号の連載開始と
月刊誌黄金時代
が突入しだした頃です。
ちなみに月光仮面(平和でパチンコ化)がテレビや漫画になるのは
2年後の昭和33年
ですから、この当時の月刊誌同士による凌ぎを削る争いは
現在のパチンコメーカーの争い
と酷似してますよ。
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