正確には「桑名城跡」ですね(^^ゞ
桑名城は三重県桑名市にある「水城」です。
今は建物は残っておらず堀と石垣が少し残っているだけで「九華公園」という公園になっています。
関ヶ原の戦い後、覇者となった徳川家康は慶長6年(1601年)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じた。忠勝は入封直後、揖斐川沿いに城郭の建造を開始した。城には船着場も整備し、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞が立ち並んだ。また同時に城下町も整備された。(wikipediaより)
城跡の近くにある有料駐車場に車を停めると銅像が目に入りました。
本多忠勝さんですヾ(o゚ω゚o)ノ゙
後ろにある長細いのは愛槍「蜻蛉切」。
忠勝さんは生涯57回もの戦に参戦したそうですがどの戦でもかすり傷ひとつ負わなかったそうです。
それが「戦国最強」と言われる由縁だそうです(*´ω`*)
さてさて桑名城の正面入口に向かいます。
こちらの橋を渡って城内に進みます。
城の周りは堀が残っていますがほとんど埋められているようです。
左右にはこのような幅の広い堀があります。
鴨が気持よさそうに泳いでました。
城を正面から見て右奥の堀の様子です。
本丸に向かう場所に朱色の橋が掛けられてありました。
地元の人が結構たくさん散歩しておられました(*´ω`*)
この赤い橋を渡ると目に入ってきたのがこちら・・・
「辰巳櫓」あとです。
残念ながら幕末に新政府軍によって焼き払われた様です。
この様に幕末時たくさんのお城が新政府軍によって焼き払われたり取り壊されたりしています。
お城が好きな者にとっては悲しい事です(゚´ω`゚)
広~い公園になっております。
この時神社の鳥居が目に入りましたので御参りに行く事にしました。
こちら「鎮国守国神社」です。
一礼して鳥居を潜ると右手に牛の像があるのを見つけました。
も、もしかして・・・( ゚д゚ )
そう思って近づいてみると・・・
拝殿の前の賽銭箱に梅の御紋があるのを見つけました。
看板を見ると「天満天神」の文字が!
桑名でもご縁を頂けて感謝でございます<(_ _)>
しかし驚いたのはこれだけではなかったのです。
御祭神の所に書かれてある「松平越中守定綱公」・・・
この定綱さんの父親に「松平定勝」さんて方がおられます。
この定勝さんのお母さん・・・なんと家康さんのお母さんと同じ於大の方だったのです!家康さんとは父親違いの兄弟なのです。
於大の方は家康さんの父親と離縁させられた後「久松家」に嫁ぎその時に定勝さんを生んでおられます。
この久松家の先祖が「菅原家」なのです。
本多忠勝さんの息子の代で本多家は姫路に移りその後この桑名に入って来たのが松平定綱さんだったようでこの時から「久松松平家」がこの城に入りますが越後高田藩に移封。
その後別の松平の家系がこの城に入りますが後に再び「久松松平家」が戻って来たようです。
といいますかまさかここで「久松家」の方に遭遇するとは思ってもみませんでした(>_<)ゞ
実はちょうど1年程前に於大の方と久松家を知る事になったのです。 その時のお話はこちら⇒ 「家康さんの生母」
ちょうど1年ぶり・・・一体なんなんだろうか?(^ω^;)
拝殿の右横に石垣を見つけたので近づきました。
こちらかつてこの場所に天守台があった場所だそうです。
↑天守台の前にある説明文?です。
天守台の中央に青銅で出来た長い物が建っているのですがこれは「戊辰戦争の供養塔」のようですね。
桑名藩は幕府側に味方した藩でして当時の藩主が会津藩主だった「松平容保」さんの弟さんだったのもあり幕府に着いておられた様です。五稜郭まで行かれたそうですよ!
予定した所に行く事が出来たので桑名で有名な「蛤」を食べて帰ろう!!!と思いました。ですがお店に行くと凄い人で・・・残念ながら断念してしまいました・・・蛤食べたかったなぁ(´・ω・`)
仕方なく帰路に着いたのですが途中トイレに行きたくなりとあるSAに寄りました。するとそこで奇跡がwww
なんと出店で私の大好きな「ずんだ餅」が売られていたのですヽ(゚∀゚)ノ
まさか桑名でずんだ餅に出会えるとは思ってもみませんでしたwww
迷わず購入ε=ε=ヾ( ●ω・)シ
このずんだ餅が超美味しかった!!!
もっと買ったらよかったと後悔しまくりの美味しさでした!!!
そういえば龍馬さん達の墓参りに行った帰りも駅でずんだ餅が売ってたなぁ・・・と思い出しました。
蛤をお店で食べていたらきっとSAには寄らなかったのでこれは誰かがこのずんだ餅に引き合わせて下さったのだなぁと思いました。
ですが誰なのかがはっきり分からず・・・
でも凄く嬉しかったです!ありがとうございますヾ(o゚ω゚o)ノ゙
I♡ZUNDAヽ(●∀゚ )ノ