近藤さんは、現在えんぎ堂で整体師としてご活躍されています。
とても気さくに話をされ、いつも笑顔の印象があります。
そんな近藤さん、いえ近ちゃんは、小学校高学年から中学3年間不登校でした。
今回のお話のもう一つのテーマは、「不登校だったからこそ得られたもの」です。
近ちゃんから不登校だったことは聞いていましたが、詳細には初めて知り、
学校へ行かないのは何かこれといった理由があったわけではなく、ただただ行きたくなかったという
事実に驚きました。
会場に来られている方々の中には、お子さんが不登校で悩まれている方も多く、これには
驚いたにちがいありません。
「なんで?」「どうして?」
何とかして解決したいと思うあまり、原因探しをしてしまう周囲の過ちを見る思いでした。
そんな中で、小学校の先生が自宅に訪問された際に、「どうしたい?」と聞いてくださったのが嬉しかったと
聞いて、そのような関わり方が良いのだなぁと感じました。
学校とは関係なく夜釣りに連れて行ってくださる先生って素敵だと思いました。
私は、どのようにして、不登校だったところから社会に出ることが出来たのかを知りたくて、ご質問も
させていただきました。
板前さんだったお父様から皿洗いをしてみないかと言われ、やってみたことが1つのきっかけだったそうです。
そこからお客さんとのコミュニケーションとの仕方に戸惑い、学んでいかれたそうです。
その時の50代60代の大人の方々の悩みを聞いたこともとても勉強になったそうです。
16歳ぐらいの青年がそんな年配の話を聞く機会はそんなにありません。
本当に得難い経験を若いうちにされたのだと思います。
また、yahooチャットで会話のリハビリをしたことも1つのきっかけになったそうです。
SNSは色々な問題もありますが、会話のリハビリになるというのは現在不登校や引きこもりになっている青年には
すごく参考になると思いました。
不登校のときには本をよく読んでおられたそうですが、近ちゃんは自分で学ぼうという姿勢が強く見えます。
不登校だったからこそ得られたことを一言でいうと
「自分を知る」
とおっしゃいました。
自分の感情を知る、自分の考えていることを知る、そして自分に寄り添う。
「ただそこにいる」こともコミュニケーションだと思う。
近ちゃんは不思議な人で、きっと自分の大きな感情をしっかりと自分で受け止めていて、
それを黙っていられることが感じられるからでしょうか。
本当に、そこにいるだけで存在感があり、自分も堂々と存在していていいんだと
思えるような方です。
傾聴ボランティアでも、えんぎ堂(整体院)さんでもその姿勢が身についていて、
皆から信頼されているのだと思います。
「学校に必ずしも行かなくていい。」
と悩まれている親の方々がふっと思われたのではないでしょうか。
講演会の後のワークや懇親会でも色々と皆で話して、考えることが多かったです。
こうして、近ちゃんの人生の語りを聴けたのはすごく良かったです。