記憶の片隅に・・・・ | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

記憶の片隅に置かれるもの、また、全てが幻影かのように

 

いとも簡単に忘れ去られてしまうもの、人生には様々な出来事や

 

多くの喜びや悲しみ、落胆や怒りがあるから、その全てを記憶に

 

残すことは非常に難しいものでありましょう。

 

人間の脳は、忘れるという機能を持っていると言われていますが

 

必要ではない記憶や情報を、自らが意識することなく消し去る

 

ことが出来るのならば、学習能力は人にも動物にも形成されず

 

常に全てのことは初体験となり、同じ過ちや、何も考えずに

 

起こした行動が偶々成功しただけのことが、グルグルと何度も

 

何度も人の生活行動の中で回っているだけで、習慣的な行動や

 

無意識の行動から、常に正しい判断を導き出すことは人の中に

 

存在しないことになり、経験した全ての情報が脳の中に存在を

 

しているからこそ、人が確実に正しい判断、行動をすることが

 

身に付いているのだと、私はそう考えます。

 

過去の失敗や過ちの情報の記憶を引き出せない時に

 

人はミスを犯したり、間違えた情報を正しいものであると

 

脳内に保存をしているから、何度でも同じミスや過ちを繰り返し

 

そこで間違えを自らが気が付き、直ぐさま修正できる能力が

 

あるのかないのかで、人の性格や個性、人格が形成されて

 

行くのでしょうし、そうでなければ、みんな同じ考えや生き方をする

 

ロボットのような人間だけになってしまいます。

 

アメリカ大統領選挙を見ても、多くの思想が人々の分断を産み

 

人々が何が正しいことなのかも見失う事態になっていたりします。

 

人々が冷静さを無くした、ある意味では宗教的に、熱狂する信者の

 

心理の恐ろしさが、そこにあるからなのでしょう。

 

民衆を扇動する指導者が、悪だとしても、善だとしても、その者達に

 

頼らざるを得ない社会構造なのだから、自分の思想や生活の利益に

 

なる者に期待が大きく掛けられるのは、至極当然なことでありましょう。

 

時の権力者に忖度をする公務員が、極普通に存在している国家運営

 

支離滅裂な説明や、嘘を並べて正当化を目論む、痛々しい人間

 

デコスケ野郎の存在とかを見ていると、人間って、なんて愚かな

 

生き物なのかと痛切に感じます。

 

冷静な判断すら阻害されてしまう、何もかもが金に絡んでいる人間社会

 

良識は誰に出もあるはずなのに、それすら消し去るマネーの力の怖さ

 

マネーがなければ何も出来ない、資本主義社会の歪みが大きくなり

 

地球に住む人類に襲い掛かり、負の連鎖が加速しているのでしょう。

 

新型コロナウイルスが、世界的に蔓延している現在でも、尚

 

社会構造もマネーの力も全く変わることなく、人のそれぞれが自分の

 

思惑から勝手なことを言っていて、命を落とす人達の心の中は

 

まだ生きられる命を奪われ、空しさで成仏することは出来ないでしょう。

 

魂には物質的質量があるとされていますが、死して放たれた魂は

 

どんな物質に変化をするのか、それが怨霊となるのか

 

極普通に自然へとかえる、地球を構成している物質となるのか

 

戦争で失われた命、経済活動で奪われた命、全ては人間達が奪う命

 

命は尊いと言いながらも、矛盾した行動を続けている人類ですね。

 

経済を発展させるためには、犠牲が出ても仕方がないと力説する

 

人の心を失っている議員達が普通に存在をしていて・・・・・。

 

おわり