小学校の冬の体育の授業は、学校のグラウンドに作られた
スケートリンクで、スピードスケートの練習やスケート大会が行われていて
放課後や、冬休みなどは、学校のリンクまで行って、スピードスケートを
滑っていた十勝っ子、帯広っ子の私でありますが、スケート靴はごく普通の
ノーマルブレードのFUJIで、エッジはいつもなくて、時折に斉藤自転車屋で
研いで貰った時だけエッジがあるという、寒い日には横滑り、コーナーでの
転倒なんてのは日常茶飯事で、それがまた、良い遊びにもなっていましたが
ただ、スピードスケートは、足が冷たくなったり痛くなるのが辛かったです。
そんな思い出があるスピードスケートですが、中学生になったらホッケー
いえいえ貴方が指でさしているのは、海の魚の、食べると美味しいホッケです
そーでなくて、ステックを持ってパックをゴールに入れるアイスホッケーです。
4セットのセンターF、いわゆる、野球で言えば二軍、出番はごく僅かでしたが
それでも試合に出てプレーしていた時は、本当に楽しかった思い出があります。
屋内スケート場、ヤングセンターにも良く遊びに行きました。
先輩の女子と、無邪気にじゃれ合いながら、ああでもない、こうでもないとか
話ながら滑るのが楽しかったなぁ~と、ついつい昔話に・・トホホ
そして、下の子が幼稚園時代に、スピードスケートを初めて小学生になると
競技にどっぷりと浸かり、遠征の送迎やら応援やら、スケートのメンテナンスも
親もどっぷりスピードスケートに浸かりながらの日々でしたねぇ。
私は仕事で行けなかったですが、長野のエム・ウェーブとか行ってましたね。

小学生の頃は十勝管内の北から南まで、各町々の競技に参加していたので
朝早くから運転手で早起きして出かけてましたね。
阿寒湖畔スピードスケート場の大会では、4連泊したこともありました。
さすがにバイキング料理を食べ飽きてしまい、ラーメン屋でラーメンを食べたら
これがまた、美味かったなぁ~と言う思い出が残っています。
中学生になると、苫小牧とか釧路、真駒内、長野などで戦ってましたね♪


高校の2年までで、本人はスピードスケートをやめちゃいましたが
実力は、そこそこありましたから、親としては少し残念でしたが
本人が選んだ道ですから、これだけは仕方のないことだと諦めました。
高校卒業をして直ぐに、本州に単身で渡り立派な社会人として
仕事を頑張っているようでありますし、元気にやっている末っ子でした。
おわり