北の守備、海岸防衛 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

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大東亜戦争末期に、連合軍が上陸して来る恐れがあると帝国陸軍
 
大本営の命令で、道東沿岸の監視・守備の為に造られたトーチカですが
 
連合軍の上陸を火器などで阻止するのではなく、いち早く発見をして
 
大本営に報告するのが目的であった、コンクリート製の陣地なのでしょうね。
 
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自動車から降りて、中を覗いて見ようかなって思いましたが
 
祠があって、何となく不気味だったので、中は覗いて見ませんでしたが
 
もしも、覗きに行って、こんな感じだったら恐いですねぇ。
 
イメージ 2
この写真はあくまでも、皆様方の想像を
 
助長、補助する目的の為に、写真を加工し
 
切り張り加工をした、事実とは異なる
 
想像写真でありますので、本物の写真とは
 
決して、お間違えのないようにお願いします。
 
 
もしも、こんな感じで旧日本陸軍の兵隊さんと遭遇をしたならば
 
思わず、姿勢を正し、任務、お疲れ様です、しかし、もう戦争は終わりましたので
 
どうか安心して、ゆっくりとお休み下さい言わずには、いられないと思います。
 
イメージ 3
 
祠のあったトーチカより東側には
 
もう一つ、砂と草に埋もれたトーチカが
 
ありましたが、内部を覗くと土砂が詰まり
 
入り口付近にしか空洞はありませんでした。
 
ジーンズまでもを突き抜かせ、チクチクする
 
ハマナス?の枯れ枝の中を進むと
 
その上部に登ることが出来たので
 
おそらく、トーチカからは、このように
 
海岸線が見えていただろう景色を眺めました。
 
 
 
イメージ 4
 
 
昔は、このように
 
植物などは生えて
 
おらずに、砂地が続く
 
砂浜だったのだろうと
 
想像を巡らせました。
 
 
イメージ 5
このような穴が
 
天井に2つ開いていて
 
トーチカの中から
 
無線のアンテナとかを
 
出していたのか
 
それとも、初期の
 
レーダーを使い
 
連合軍が来るのを
 
見張っていたとか
 
その使用の仕方も
 
このタイプの
 
トーチカをしる
 
旧日本陸軍の
 
兵隊さんだった方に
 
詳しく話を聞いて
 
歴史的な資料として
 
残した方が良いと
 
私は思いました。
 
 
 
私は、歌にもあるように、戦争を知らない子供として育ちましたが
 
戦争を体験した日本国国民が少なくなりつつある現代社会
 
戦争を知らないから憲法を変えて、戦争をしたがる政治家が現れ
 
それに賛同する、ネヲナチ小僧と思しき、若者が日本国にも増加していたり
 
ある独裁的な指導者が旗を立て、その旗に人々が終結し
 
まるで夢物語のような良い事ばかりを並べ言う、悪魔の演説に耳を傾け
 
多くの者達がその言葉に心を踊らされ、まるで正気を失ったキチガイとなり
 
欲望漲る権力者が言うが侭に、国民は動かされ、他国の人々の命を奪い
 
なんの罪のない多くの人を殺し、そして苦しめ、大切な人を殺されたと言う
 
憎しみは、憎しみの連鎖を生み、犠牲者は増え、多くの家族を不幸にして行く
 
単に、政治指導者が抱く夢や、理想を築く為の道具として国民は犠牲となり
 
輩達の欲望の為だけに多くの人々が戦わされ、そして殺されて行くだけである
 
何とも愚かな人間の姿をさらすだけの民衆となり果て、戦争が終わった後に
 
何が残るのかと考えれば、多くの人々の心の中には、苦しみと悲しみしか
 
残らないのではないかと私は思います。
 
中には、戦時中に、敵兵を何人も殺したと、まるでヒーロー気分で
 
自慢している老人も実際にいるようですが、悲しい人だと思います。
 
戦争を知らない子供達を誑かし、戦争に導こうとしている老人達が
 
陰に隠れて動いている、装としか思えない日本国の流れになっている
 
私はそう感じてなりません、その内に、自民党が掲げるジハードとか
 
国民に強要するのではないかと、恐くなる時もあったりします。
 
文民統制も崩れてきている日本国、果たして子供達、孫達の未来は
 
どうなっているのでしょうか、そう思っただけで不安に感じてしまう昨今です。
 
おわり