私の場合は、約3分間寝ているだけで、ボランティアは終了です。
な~んにも考えもせずに、ボサラ~ッとただ寝ているだけで
ボランティアが完結するなんて良い感じです。
常々、ボランティアをして他人様の役に立ちたいと思っていますが
デブ性と言うのか、ナマケモノと言うのか、スボラな私にとって
正に、願ったり叶ったりの最高のボランティア活動、それは献血です。
人間の鮮血が欲しい欲しいとダハンをしても、鮮血はそう簡単に
手に入るものではなく、鮮血がなければ、誰かの命は蝋燭の蝋が尽き
ス~ッと炎が消えてしまう訳でありまから、鮮血のストックは大切で
顔も名前も知らない全くの見ず知らずの、誰かさんの役に立てれば
それで良いと、デブ性でありながらも、移動の苦労などは感じません。
いわゆる、コンビニにタバコやおやつを買いに行くような軽い感覚で
すぅっと身体が動きますし、チクリぐらいの痛さなんて、そんなもんは
普通に暮らしていても、週に2、3本は、道民ならば誰しも食べている
あの干しコマイの皮を向いている時に、骨がサクッと手に刺さる訳であり
力いっぱい皮を剥いている時の、あの強烈で尋常ではない痛みと比べると
それ、即ち、無痛に等しいのではないかと思えるほど、軽い痛みですし
そんな痛みなど苦労の内には、全く入らないと私は強く思います。
ボランティアは大変だとか、自分は良い事をしているなんて思わなくても
献血をするだけで、自動的に人の命を守っていると言う、空気のような
善意の心になるのが大切だと思いますし、それは国民の義務でもなく
誰かに言われたり、促されてするような任意の行動でもなく、自らの行動で
極普通に献血がしたいと思える心が大切なのかもと思います。
献血が気軽に出来る環境と設備が、身近にある喜び、そして、助け合いの
心が満ち満ちていれば、誰かの命を救えますし、余命僅かな人の寿命を
1日だけ延ばしてあげる事も出来ますし、医療関係者が居てこそ人々の
善意が誰かに授けられるみたいな、そんな事を寝る前にぼんやりと
考えれば良い訳でありましょうし、血液などは自分自身の意識とは全くの
無関係に体内で自動的に製造されていて、その量は、生きている限り
そして、健康でいる間は無尽蔵に血液は作られているのですから
出し惜しみをする必要などもない訳で、400(200)㎜㍑の血液を
惜しげもなく差し出すだけの、簡単なボランティアは、正に最高です。
血をくれと言われれば、ホイホイと差しあげたいのですが
一度献血をすると、また暫く出来なくなってしまうのが玉に瑕ですが
善意の人に、血の取り過ぎで、もしもの事故があっては大変ですから
安全に配慮しての掟があるのは仕方ない事でありましょう。
チクッとされて、チュウチュウ吸い取られ、ハイ終了、ペタリンコ。

バスの中のお医者さんに、血圧が162とかで、高めですね、と言われて
ありゃりゃ、献血は拒否されるのかと思いきや、400ccでお願いしますって
おいおい、そりゃないぜ、セニョリータ、もとい、セニョール、焦るぜ!
献血が終わった後の血圧が、136のいつもの平常値に戻っていて
やはり、血液が体内で余っていたのは明白であり、しかも、針を刺されて
機械が動き出してから、約2分53秒で献血が終了、自己記録を塗り替えて
しまい、嬉しくて飛び跳ねて、喜びそうになりましたが、我慢しました。
看護婦、もとい、看護士に、3分で終わらせます言ったら、冷笑どころか
愛想笑いもせずに、ブスラーって顔をして、私は仕事をしているのよ
くだらない事は言わないでみたいな感じだったので、腹が立って血の出も
更にパワーアップしたのだろうか、あの態度はないぜ!ベィベー!
優しくしてくれないと、もう、血なんかあげないぞ~、なんてケチな事は
言いませんが、バスに乗っている人達は、みんな善意の人である事を
一瞬たりとも忘れてはいけないのだと強く感じました。
もう一枚、サービスショット!

お肌が年寄りなのか、カサカサになっているし、絆創膏の模様と完全に
同化しているのが、また良い感じであります。
被れるとかで、1時間ぐらいで外すようにと言われたけれど
そんなもん、待っていられるかと、仕事場に帰ってから速攻に剥がすと
血が滲んで来たので、検査用の針跡の絆創膏(小)を貼って、どデカ
絆創膏は捨ててしまって、腕が楽ちんになる裏技をして、ごめんなさい。
おわり