うぐいの未来を考える① | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

「うぐい」を知れば知る程に、「うぐい」の未来が明るく見えて来るのである。

北海道の釣り人からは、常に、外道、雑魚と呼ばれ、「うぐい」が虐げられ続け数十年

しかし、奥を探れば探るほど、たかが「うぐい」から、されど「うぐい」に気持が徐々に変わり

侮るなかれ「うぐい」と大きく気持が変化をして行き、最後にはなんと「うぐい」は凄いのだと

「うぐい」の未来は完全に明るいのではないか、「うぐい」は、正に、北海道の救いの神となる

全ての要素がたっぷりとある、「うぐい」の未来に想像を膨らませれば、決して他の物とは

較べものには成らず、類を見ない、目を見張らんばかりの「うぐいの」素晴らしい所が分かり

次から次に構想が湧いて出て、寝ても「うぐい」起きていても「うぐい」の事ばかりを

四六時中考えてしまっていて、本当に参ってしまうのである。

それは、自分でも驚くぐらいに「うぐい」に対する、以前に持っていた意識や気持が大きく変わり

あの胡散臭い「神」と崇めていた者とは全く違う、正に、北海道の人々を救う救世主とも言える

本物の「神」の姿をこの目で、ハッキリと見たような気がするのである。

淡水でも海水でも生きられるなんて「うぐい」は凄い、「うぐい」は偉い、そして酸性の水質でも

生きられると言う、その「うぐい」の強い生命力に深く感銘を受け、やはり「うぐい」は

北海道の人々を救う「神」的な存在である事を確信したのであった。

釣って良し、食べて良し、飼って良しの三拍子が揃った「うぐい」の未来は華々しいものがあり

人々は「うぐい」の為に、大きな祠でも建てて、崇め奉らなくてはいけないのかと思う程に

「うぐい」の未来に、北海道の未来を重ねて託しすべきであろうと、心が篤く激しく動きだし

「うぐい」の未来を知った、今となれば、古くからのあの潜在意識は、いったいなんだったのかと

首を傾げてしまうぐらいに不思議に感じ、今まで随分と「うぐい」に対して、酷い言い方や

酷い扱いをしていて、ごめんなさいと謝罪をしたい気持で、いっぱいになるのである。

北海道の人達は、その誤った認識を今すぐに正し、北海道を救うのは「うぐい」しかないと

「うぐい」を、福の神に変え、北海道の経済と景気を盛り上げ、道民のみんなの収入が安定し

誰もの顔に笑顔が光る、いつも楽しく暮らせる、明るい北海道に変えて行こうではないか

この記事を見て「うぐい」の文字に、えっ「うぐい」と感じ、徐々に「うぐい」に対する意識

思いが変わり「うぐい」が秘めている、その素晴らしい未来に触れながら

本物の「うぐい」に出逢えた人々は、これから「うぐい」に依ってもたらされる

本物の幸せまでも実感して行く事になるのだと思う。

つづく