「うぐい」を知れば知る程に、「うぐい」の未来が明るく見えて来るのである。
北海道の釣り人からは、常に、外道、雑魚と呼ばれ、「うぐい」が虐げられ続け数十年
しかし、奥を探れば探るほど、たかが「うぐい」から、されど「うぐい」に気持が徐々に変わり
侮るなかれ「うぐい」と大きく気持が変化をして行き、最後にはなんと「うぐい」は凄いのだと
「うぐい」の未来は完全に明るいのではないか、「うぐい」は、正に、北海道の救いの神となる
全ての要素がたっぷりとある、「うぐい」の未来に想像を膨らませれば、決して他の物とは
較べものには成らず、類を見ない、目を見張らんばかりの「うぐいの」素晴らしい所が分かり
次から次に構想が湧いて出て、寝ても「うぐい」起きていても「うぐい」の事ばかりを
四六時中考えてしまっていて、本当に参ってしまうのである。
それは、自分でも驚くぐらいに「うぐい」に対する、以前に持っていた意識や気持が大きく変わり
あの胡散臭い「神」と崇めていた者とは全く違う、正に、北海道の人々を救う救世主とも言える
本物の「神」の姿をこの目で、ハッキリと見たような気がするのである。
淡水でも海水でも生きられるなんて「うぐい」は凄い、「うぐい」は偉い、そして酸性の水質でも
生きられると言う、その「うぐい」の強い生命力に深く感銘を受け、やはり「うぐい」は
北海道の人々を救う「神」的な存在である事を確信したのであった。
釣って良し、食べて良し、飼って良しの三拍子が揃った「うぐい」の未来は華々しいものがあり
人々は「うぐい」の為に、大きな祠でも建てて、崇め奉らなくてはいけないのかと思う程に
「うぐい」の未来に、北海道の未来を重ねて託しすべきであろうと、心が篤く激しく動きだし
「うぐい」の未来を知った、今となれば、古くからのあの潜在意識は、いったいなんだったのかと
首を傾げてしまうぐらいに不思議に感じ、今まで随分と「うぐい」に対して、酷い言い方や
酷い扱いをしていて、ごめんなさいと謝罪をしたい気持で、いっぱいになるのである。
北海道の人達は、その誤った認識を今すぐに正し、北海道を救うのは「うぐい」しかないと
「うぐい」を、福の神に変え、北海道の経済と景気を盛り上げ、道民のみんなの収入が安定し
誰もの顔に笑顔が光る、いつも楽しく暮らせる、明るい北海道に変えて行こうではないか
この記事を見て「うぐい」の文字に、えっ「うぐい」と感じ、徐々に「うぐい」に対する意識
思いが変わり「うぐい」が秘めている、その素晴らしい未来に触れながら
本物の「うぐい」に出逢えた人々は、これから「うぐい」に依ってもたらされる
本物の幸せまでも実感して行く事になるのだと思う。
つづく