格差社会が生んだもの | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

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Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

殺人犯人が「誰でも良いから殺したかった」と、供述しているニュースが日常茶飯事に

報道されている日本国を見ると、なにが影響し人々の心が、どうしてしまったのかと

どうしても、その原因を深く考えたくなってしまうのである。

何をやっても上手く行かない、誰も助けてはくれない、自分だけが何故に不幸なのだ

幸せそうに暮らす人を見ると、無性にイライラが募り、自分だけが阻害されている気持になり

自分は自分人は人と完全に住み分けられた、殺伐とした社会に言い知れない嫌気が差して

世の中に対する不満だけが鬱積し、どうせ自分なんかと諦めの気持から、誰でも良いので

人を殺し死刑になりたいと、過激で異常な心理がある日突然に出て、短絡的な行動に移し

悲惨で悲しい事件が、日々起こされ続けているのではないかと推測するのである。

その心理の奥には、人との関わりが常にあった、以前の日本国とはまったく違う

完全個人主義となりつつある、社会の環境が大きな要因になり、米国化された社会に近い

差別と格差ありし中の生活が、人の心を蝕んでいるように思えるのである。

ごく普通に一般の人と同じ生活をしながら、何も事件も起こさず、素行が不慮な面もなく

普通に暮らしていた人が、いきなり無差別鬼畜殺人鬼に変わってしまうと、いずれは起こす

起こるだろう犯罪を、治安を守る人達だけではなく、多くの日本国国民は、事前に察知したり

予見したりする事が非常に難しくなり、人を見れば殺人鬼と思え、泥棒と思えの様な

自分の身は自分で守れ、常に銃を携行して歩き、不意に相手にやられない為には

相手が撃つ前に撃て、西部劇のマカロニウエスタン風の、人を信用しない、信用が出来ない

荒野に根無し草が風に転がり、何処かで誰かが吹く、口笛が似合う荒野の風景の中に

人々は疲れ果てた顔をして、寂しく悲しい世の中には、常に乾いた風が吹くだけの

正に、殺伐が似合う世の中になってしまうのでありましょう。

マスコミに当選させて貰った、あの、宮崎知事、そのまんま東ですが、マスコミの取材に

キレル姿が、そのまんま、日本国の姿を現しているのでしょう。

口を開けば、いつも道路、道路と言っている、宮崎知事、道路族のドンと会談ですから

四谷怪談のお岩さんだって、絶対に、裏に飯や、もとい、裏があると不審に思うでしょうね。

おわり